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「安心を買う」

日本の会社は現金預金を貯めすぎると言われています。日銀が発表した資金循環統計によると、企業が保有する現預金の14年3月末の残高は232兆円と過去最高を更新しました。会社が眠らせている現金預金を積極的に投資に使うか、あるいは株主に還元すれば、日本経済は活性化するというのです。
現在、預金利率はほとんどゼロで、現預金を積み増すことの収益的メリットはありません。会社内で成長のための投資に回せない現預金は株主に返還しろ、というのが株主側の論理です。それに対し、「過少な内部蓄積では、将来、赤字を出したときすぐ破綻に追い込まれかねない」と反論しても、「赤字を垂れ流すような会社は市場から撤退すればいい」と軽く受け流されてしまいます。株式会社の原則からすれば、それはそのとおりなのですが、会社を株主ではなく、そこで働く社員の集合体として見ると、また違った姿が見えてきます。
雇用の流動化が十分とはいえない日本では、これまで働いていた会社が倒産すると、社員は次の仕事を探すのは容易ではありません。社員の側からみれば、多少業績が悪くなっても、持ちこたえられる会社であって欲しいというのが正直な心情であり、会社に蓄積される自己資本とキャッシュは厚いに越したことはありません。それが安心できる会社です。それは単に社員だけのためではなく、自分の会社に安心感を持てるから、会社のために一生懸命働き、会社を成長させることにより長期的に株主にも報いることができる、というのが内部蓄積派の主張です。
成熟経済に移行し、投資に使い切れない余剰キャッシュが出てくると、そのキャッシュを株主還元として社外に流出させるか、あるいは、まさかのときに備えて社内留保するかの二者択一を迫られます。株式市場は当然、株主還元を歓迎します。最近話題の社外取締役の拡大も、こうした議論と無縁ではありません。社員からの持ち上がりの取締役ばかりだと、不要に内部蓄積してしまうという懸念があるからです。

任天堂の分厚い社内蓄積
最近、業績不振が話題の任天堂を見てみましょう。損益計算書の業績は目を覆うばかりの不振の連続です。売上高はピークの2009年3月期の1兆8368億円から5期連続の減少で、2014年3月期は5717億円とピーク時の3分の1以下になってしまいました。営業利益も2009年3月期の5552億円をピークに落ち続け、ここ3期は連続営業赤字、2014年3月期は464億円の営業赤字です。損益計算書だけ見ていると、いつ破綻してもおかしくない状況です。
しかし、貸借対照表に目を転じると、様相は一変します。2014年3月期の自己資本比率は85.6%、現金預金4742億円、現金預金に有価証券(流動資産)を合わせた広義の流動性は7952億円、それに固定資産の投資有価証券を加えると、換価性の高い資産の金額は9181億円に達し、全資産の7割を超えます。貸借対照表を見る限り、破綻とは縁遠い万全の財務体質です。普通、これだけ営業赤字が続けば、企業の存続に疑念を生じる見方が出てきても不思議ではありませんが、任天堂はそんな見方を抜群の内部蓄積で跳ね返します。
こうした任天堂の強靭な内部蓄積は所属する社員から見ればありがたいのですが、株主から見ればやり過ぎだと見えるかもしれません。どちらが正しいかは今後の任天堂の業績が決めます。このまま業績不振を続け、蓄積を食いつぶしたまま浮上できないのであれば、厚い蓄積は社員に対する単なる過保護だったということになりますし、苦難のときを経て、高収益会社に復活し、再度株価の上昇につなげることができれば、内部蓄積は決して社員に対してだけの栄養剤ではなく、長期的に株主のためにもなっていることを示すことができます。
3分の1を過ごす会社
「私たちは人生の3分の1を会社で過ごす。不安を感じる組織であってはならない。」
これは日経ビジネス9月22日号に掲載された三菱重工業の大宮会長の言葉です。三菱重工業は言わずと知れた日本を代表する上場企業です。上場企業は株主目線を重視しがちですが、社員のために不安を感じさせない組織にすることも忘れてはならない経営者の役割だということを言っているのだと思います。
現預金を積み増すのは、成長投資とは懸け離れた、無駄な投資のようにも見えますが、「安心を買っている」と積極的に考えることもできるのです。ただ、これは余り普遍的ではなく、瑞穂の国特有の資本主義ではあるでしょうが。

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