先般、NHKで「"新富裕層"VS国家~富を巡る攻防~」という番組が放映されました。その中で、今の富裕層は少しでも税率の低いところに移住したいと考えていて、アメリカではプエルトリコ、アジアではシンガポールが移住先の例として紹介されていました。プエルトリコに移住したアメリカ人は次のように言っていました。
「いくら稼ぐかは問題ではない。どれだけ多く残せるかが問題なのだ。だから税率の低いプエルトリコに移住する。」
変わる金持ちの倫理観
稼ぐだけ稼いで、税金はできるだけ安くしたいという、この感覚はアメリカ人特有のものでなく、日本人の大金持ちにも共通している感情のようです。
私にとっての金持ちの象徴は、少し古いですが松下幸之助です。彼は、稼ぐことも稼いだのですが、税金をたくさん払うことにも誇りを持っていました。ちなみに、1970年代の所得税の最高税率は75%でした(所得区分8000万円超の部分)。住民税を合わせた最高税率はなんと93%に達しており、現在よりはるかに過酷な累進税率が課されていました。幸之助クラスになれば、多分限界的な収入のほとんどは税金に持って行かれたはずです。それでも彼は税金の安い他国に逃げ出そうなどとは考えませんでした。所得が多いのだから、税金を払うことは金持ちの責務だと思っているように見えました。それだけに税金の使い方を決める国の政治のありように強い関心を寄せており、それが松下政経塾の設立につながったのだと思います。彼が考える金持ちの倫理観は「目一杯稼いで、その一方で稼げるのはこの国のおかげなのだから、払うべき税金は堂々と払い、そして国に意見もする」といったものではなかったでしょうか。
それは今の金持ちの税金に対するスタンスと大きく異なります。時代の違いと言ってしまえばそれまでですが、やはり金持ちの倫理観が変わってきているように感じてなりません。今の富裕層はグローバルに活動する人が多く、海外移住に対する抵抗感は以前ほど強くありません。そうした傾向が強まると、金持ちは外に出て、国内に残るのは所得の少ない人ばかりになり、国家が貧しくなってしまうことを課税当局はおそれます。
昔、学校の教科書では、所得税は所得の高い人ほど税率が高くなる累進税率構造になっていて、所得の再分配機能がある、と説明されていました。しかし、税率を高くすると、金持ちが国外逃避するとすれば、金持ちに対する課税をおいそれとは強化できません。それどころか、できるだけ多くの金持ちを集めるために(あるいは残すために)、法人税も含めて国家間の税率引き下げ競争の様相を呈してきているのが現状です。
観戦で皆が立ち上がる
この競争はスポーツ観戦における観客の態度に似ています。一番前の観客が試合に興奮して立ち上がったとします。すると、2列目の観客は試合が見えなくなってしまいますから、2列目の観客も立ち上がります。今度は3列目が見えなくなります。3列目の観客も立たざるをえません。これが永遠に連鎖します。結局、1列目の観客が立ち上がると、すべての観客が立って観戦することになってしまうのです。最初から誰も立ち上がらず落ち着いて観戦していれば、皆が座って楽しく試合観戦ができたのに、一人が立つことにより、観戦者のすべてが立ち上がらなければならなくなり、皆がつらい姿勢で観戦しなければならなくなってしまうのです。
国同士の税率引き下げ競争はとどまるところを知りません。こうした状態は金持ちにとっては良くても国家としては決して望ましいものではありません。本来であれば、金持ちは松下幸之助のような倫理観を持てと言いたいところですが、今の時代にそんなことを言っても「木に縁りて、魚を求める」類の話になりかねません。経済はグローバルに展開しているのですから、税制も一国だけの事情では決められず、国際的な協調体制が一層必要になってきたと考えるべきでしょう。