新型コロナ感染防止のため、リモートワーク(在宅勤務)が普及したおかげで、この数カ月で我が国の労働者の働き方はかなり変わってしまいました。その流れが本当に定着するか、あるいは、定着することが我が国にとって本当に望ましいことなのか、ということが問われています。
リモートワークも悪くない 実際、リモートワークを始めると、通勤地獄からの解放、通勤時間短縮による実質労働時間の増加、さらにワークライフバランスの改善など、メリットが多いのではないかという声も聞かれます。そして、在宅勤務で上司の監視の目が届かないと、部下は真剣に仕事をしなくなり、能率が下がるのではないかという、何とも日本的な疑心暗鬼の懸念も、そう心配したほどでもなさそうです。わざわざ、長い時間をかけて通勤し、皆で角を突き合わせて働くよりも、自宅で仕事をした方がパフォーマンスは上がるという人もいるようです。だから、コロナ禍が収束しても、このリモートワークの流れは、変わることがないし、変えてはいけない、という意見も見受けられます。
一方、リモートワークにどんなメリットがあろうが、職場のメンバーがリアルに集合し、皆で協力してチームワークで仕事を進めた方が最終的な効率も上がるし、日本の風土にも適合している。だから、そう簡単には変わらないだろうという意見も根強く存在します。
リモートワークが普及するかどうかは、雇用形態が決定的に重要です。
ジョブ型とメンバーシップ型
雇用形態には、ジョブ型とメンバーシップ型があります。ジョブ型は明確に定義された職務に対し、そのスキルを持った人間を雇用します。給料はスキルに対して支払われますから、年齢に関係なくスキル次第で高い給料を得ることができます。同じスキルでも社外人材の方が安ければ、社外から調達することもあるでしょう。一方、メンバーシップ型は、果たすべきジョブは事前に明確になっていません。どこでどんな仕事をするかは会社の都合によります。給与は組織に所属していることに対して支払われますから、所属時間が長いほど、つまり年功序列で高い給料が支払われます。
雇用形態の相違は採用面から変わります。ジョブ型では、採用される前に持っているスキルが問われ、現在、身に着けていないとしたら、これから主体的にどのようなスキルを身に着けるつもりなのかということが重要になります。他方、メンバーシップ型では採用前のスキルではなく、その会社の組織のメンバーシップとしてふさわしい人物なのかを見ようとします。組織とうまく調和できるのか、といったことが重要になります。仕事上必要とされるスキルは会社主導でOJTを軸に取得されますから、これから様々な職務をこなすだけの基礎知識と柔軟性を持ち合わせているかが問われます。
両者は副業についての考え方も異なります。メンバーシップ型は組織への忠誠心が重視されますから副業には消極的です。一方、ジョブ型では勤務時間を拘束するのではなく、定められたジョブを果たすことが求められます。時間の使い方は拘束されないのですから、時間が余れば、所有するスキルを使って、他の会社の仕事をする副業も必然的に認める方向になるでしょう。
ジョブ型への移行
リモートワークに適しているのは、いうまでもなくジョブ型です。メンバーシップ型でもある程度の普及は可能でしょうが、メンバーシップ型はその性質上フェイストゥフェイスが不可欠となりますから、メンバーシップ型にこだわれば、リモートワークの効果は限定的か、あるいはかえって逆効果になるかもしれません。したがって、リモートワークが本格的に普及するためには、雇用形態がジョブ型に切り替わることが必要になります。
精神的拠り所としての職場
さて、問題はメンバーシップ型が中心だった日本の企業がすんなりジョブ型に切り替わることができるか、ということです。もし、ジョブ型が完全に浸透すると同時にリモートワークも広がり、副業も自由だということになれば、その職場は、労働者はスキルを提供し、企業はその対価を支払うだけ、というかなりドライな企業対個人の物質的関係に還元されることになります。そこには職場に集う人間同士の精神的つながりは想定されていません。
日本は欧米とは違い、元々宗教的共同体を持たず、かつてはあった地域共同体も都会を中心に崩壊してしまっています。職場は生活の糧を得る場であると同時に人間的つながりの場でもあり、その帰結がメンバーシップ型雇用でした。そんな職場がジョブ型に切り替わると、社会に精神的拠り所がなくなってしまうのではないか、という懸念がぬぐい切れません。
雇用形態の変化は単に職場に止まらず、社会全体に波及する問題として考えなければならないと思います。