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「価格が変動する資産と確定した負債のバランス」

 貸借対照表の資産と負債はどちらも金額として数字が羅列されていますから、その相違をさほど意識することなく、金額のプラスとマイナスだけに注目しがちです。しかし、将来受け払いするキャッシュ額の確定性という観点に着目すると、資産と負債には大きな違いがあります。そうした違いに着目して、貸借対照表を管理することも重要です。

キャッシュの受け払いの有無
 貸借対照表の資産・負債をキャッシュという見地から分類しようとすれば、そもそも、キャッシュ(あるいはキャッシュ同等物)の受け払いがあるかどうかが第一の関門です。その観点から、資産・負債は、キャッシュの受け払いが予定されている売掛金や買掛金などの一般の資産・負債と、キャッシュ移動がない引当金や繰延税金資産・負債などの会計上の損益調整項目とに分けられます。
 この両者の相違は分かりやすく、分別が容易ですが、同じキャッシュの受け払いがある一般の資産・負債についても以下のような違いがあることに注意しなければなりません。

元本確定か価格変動か
 まず、資産から見てみましょう。資産は原則として取得価格で貸借対照表に計上されています。一般の資産は最終的にキャッシュでの回収を予定していますが、その回収予定金額が簿価と同じかどうかという点がポイントになります。
 一つは契約により回収元本が確定している、受取手形、売掛金、貸付金などの資産があります(現金預金もこれに含まれます)。こうした資産をここでは「元本確定資産」と呼ぶことにします。元本確定資産の回収額は簿価(取得価額)と一致します。
 他方、たな卸資産、土地、建物、株式などといった資産の元本回収は、資産を稼働させて収益を生むか時価による売却になりますから、取得価額とは異なる価格で回収されます。これらを「価格変動資産」と呼びます(回収元本が確定していないのれんなどの無形固定資産も含まれます)。
 売掛金などの元本確定資産も相手先の倒産などがあれば、当初約束された元本が回収できないこともありますが、よほどのことがない限り、貸借対照表に計上されている簿価で回収できます。ところが、価格変動資産の貸借対照表上の簿価は、元本回収という観点からは、まったく意味を持たない過去の価格になります。
 資産に元本確定と価格変動があるなら、負債にも元本確定負債と価格変動負債があってもよさそうですが、負債は買掛金や借入金といったものが主体で、ほとんどが元本確定になります。こうした負債は契約で返済を約束したもので、返済できなければ、契約不履行となり、倒産してしまいますから、何をおいても期日通りにキチンと返済しなければなりません。負債はこのように返済が絶対ですが、それを補う意味で、貸借対照表の貸方には、負債の下に過去の利益の蓄積である返済不要の自己資本が控えます。
 元本確定負債で調達した資金で価格変動資産を購入し、想定外に資産価格が値下がりしたり、あるいは売却できなかったりすると、負債の返済に窮することになってしまいます。

経済行為のB/S的解釈
 価格変動資産は値下がりリスクがあるから、できるだけ持たない方がいいというのではありません。資産は価格が変動するからこそ意味があります。在庫が値上がりしたり、工場で生産する製品が価格上昇したり、買収した子会社が成長するから、企業は利益を上げることができるのです。
 つまり、企業の経済行動を貸借対照表に即して解釈すれば、「過去の利益の社内の蓄積である自己資本と契約で確定した社外から調達した負債で、価格が変動する資産を購入して、その資産価値の向上を図ること」ということができます。価格変動資産の保有は利益の源泉なのですから、企業は価格変動資産を取得しなければなりません。とはいっても、価格変動資産はいつも思惑通り上昇するとは限りません。場合によっては下落することもありますから、その時の備えがあるかどうかが問われるのです。
 返済不要の自己資本が厚ければ、リスクを取れますが、負債調達を大きくして価格変動資産を増やすと、逆に振れたときの危険性も増大します。単に資産と負債が両建てだからと安心するのではなく、自社の財務体力に照らして、価格変動資産と確定した負債のバランスを見極めることが必要なのです。

国家財政にあてはめて考える
 最近、日本の国債残高が大きすぎると懸念する意見に対して、「単に国の負債である国債の残高だけを見るのではなく、その反対側にある資産も併せて考えるべきだ。そうすると、負債に見合った資産があるのだから、日本の財政状況は問題ない」という人がいます。しかし、その議論は資産と負債を同一視した考え方であり、上記の元本確定負債と価格変動資産の議論を延長して考えれば、大雑把に過ぎます。
 国債はいうまでもなく元本確定負債です。一方、国の資産には、契約により元本が確定した資産もありますが、その多くは道路、橋、建物といった、時価の変動にさらされ、しかも余り値上がりが期待できそうにない価格変動資産になります。国債という元本確定負債と価格変動資産を見比べれば、財務の不安定性は徐々に高まっていると考えるべきだと思います。

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「PBR1倍割れ企業を縮小できるか」

 日本経済は長らく低迷していますが、近年その低迷の象徴として、東証における「PBR1倍割れ」企業の多さがクローズアップされています。PBR1倍割れは、教科書的にはレアケースと位置付けられるのですが、東証では現在5割を超える1800社以上の企業がPBR1倍を下回っており、もはや珍しいことではありません。この状況はアメリカやヨーロッパに比べてみても、はるかに高い水準となっています。そこで、東証では現在PBR1倍割れ企業に対して、株価評価の向上策の開示を求めています。しかし、この問題は個別企業の努力だけで、そう簡単に解決できるものではないように思います。

株価と貸借対照表をつなぐPBR
 PBR(Price Book-value Ratio、株価純資産倍率)は<図表1>のとおり、株価をBPS(Book-value Per Share、1株当たり純資産)で割って算出します。PBR1倍割れとは(2)式右辺のとおり、株式時価総額が貸借対照表の自己資本を下回っている状況になります。

<図表1>BPSとPBRの算定

(1)BPS(1株当たり純資産)= 自己資本/発行済み株式数(倍)


(2)PBR(株価純資産倍率)= 株価/BPS= 株価×発行済み株式数/自己資本= 株式時価総額/自己資本      


株価が会社解散価値を下回る
 PBR1倍割れは会社解散価値と関連付けて次のように説明されます。ここで仮に会社を解散するとします。資産が貸借対照表に計上されている価額どおりで売却でき、負債も貸借対照表に載っているもの以外にないとすると、残余財産は貸借対照表の自己資本がそのまま残ります。会社を解散すれば、株主はその残余財産を所有株式数で按分して受け取ることになります。したがって、自己資本を発行済み株式数で割ったBPSは、会社の帳簿上の1株当たりの解散価値を表わしていると考えることができます。
 一方、株価は株式の市場評価です。株価は将来、会社がどれだけ利益を生むのかということを予想して評価されます。通常は、会社が解散し資産を売却して残余財産の分配を受けることなど想定していません。会社は将来永続的に活動して利益を生むことを前提としています。解散価値であるBPSより、将来収益予想に基づいて評価される株価の方が高くなるのが普通です。もし、株価の方が低くなるとしたら、事業を継続するより、その株価で株式を全部取得して、事業を止めて解散して、残余財産を分配した方が株主にとって有利だということになってしまいます。ですから、PBRが1倍を割れることは、異常事態と位置付けられるわけです。

ROEの引き上げ方策
 PBRが1倍を下回るということは、株式市場がその企業に対し成長を期待できないと評価していることになります。成長性のある企業はキャッシュを収益性の高い投資に振り向け、将来のより大きな利益を期待できますから、株価は上昇し、PBRは1倍を超えることが期待できます。ところが、成長性のない企業は、利益は出せるのですが、利益から生まれるキャッシュの投資機会を見いだせず、キャッシュを貯めこむしかなくなります。その結果、キャッシュリッチな自己資本比率の高い会社がPBR1倍割れを招きやすくなります。株式会社は最終的には株主のものですから、原理的には投資に使えないキャッシュは配当や自己株式の取得などで株主に還元すべきだということになります。
 PBR1倍割れ企業に求められるのは、ROE(自己資本利益率=当期純利益/自己資本)の引き上げです。そこでキャッシュの使い道が問われます。分子の利益向上のためにキャッシュが使えればいいのですが、前述したように投資先がなければ株主還元を行い、分母を圧縮してROEの向上を図るしかなくなります。
 それがPBR1倍割れ改善に対する一番安直な処方箋になってしまうのですが、果たしてそれが日本経済の再生につながるかは疑問です。株主に還元されたキャッシュが他の日本企業の成長に向かうことができればいいのですが、国内に成長機会が限られることに変わりはありません。還元されたキャッシュがあくまで成長を求めなければならないとすれば、海外に向かわざるを得ず、日本経済自体は縮小再生産に陥ってしまうと考えられるからです。
 ROEの向上は分母である自己資本の削減ではなく、分子の利益増大を目指すのが本筋になります。したがって、PBR1倍割れはその土壌が日本にあるかを問うている、ということができます。

日本経済全体の課題
 PBR1倍割れという異常事態が日本では常態になってしまったということは、日本経済そのものが異常事態に陥っていると考えた方がいいのかもしれません。
 東証はPBR1倍割れの改善を個々の企業に求めている形ですが、企業努力は当然必要ですが、経営者の本音としては企業側の努力だけではいかんともしがたい、という思いもあるに違いありません。というのは、基盤である日本経済が成長しなければ、個別企業の成長も難しいからです。
 2012年から2022年までの日本の実質GDPの伸び率は10年間トータルで5.4%、年平均にすると、たった0.5%に過ぎません。この間はコロナ感染拡大の影響があったからという言い訳が聞こえてきそうですが、コロナ前の2008年から2018年であっても、1年平均で0.6%程度です。バブル崩壊以後の日本経済の低迷は深刻であり、人口減が必至の今後の状況はさらに厳しく、国内マーケットを主戦場とする企業にとっては、このマクロ的な状況の改善を行政側に求めます。
 一方、政府とすれば、アベノミクスの第3の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」が不発に終わったように、財政・金融のマクロ政策には限界があります。個別企業が成長戦略を描けないことがGDP低迷の主因なのだから、個別企業にしっかりしてくれと考えているのかもしれません。
 「卵が先か、鶏が先か」の議論になってしまいそうですが、いずれにしても、このPBR1倍割れ改善は個別企業だけに責任を押し付けて解決できるものではなく、日本経済の構造問題と捉え、官民一体となって考えなければならない課題だと思います。

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「初任給5万円アップが意味するもの」

 三井住友銀行が、この4月から初任給を20万5千円から25万5千円に5万円引き上げるとの報道がありました(23年2月3日付日本経済新聞)。みずほ銀行も24年入社の初任給を5万5千円引き上げ26万円にする他、三菱UFJ銀行も同様な引き上げを検討しているようです(23年3月2日付日本経済新聞)。横並び色が強い業界ですから、地銀等の他の銀行も何らかの対応を迫られることになると思われます。
 銀行の収益力の減退がささやかれる中で、従来の初任給のほぼ4分の1に相当する5万円のアップはかなり思い切った引き上げです。これは、単に優秀な人材を採用するために初任給を引き上げるということに止まらない、賃金制度の大きな変革につながるインパクトを持つように思います。

年功序列型賃金
 銀行は年功序列型賃金体系を採用する代表的な業界です。年功序列型賃金では、賃金は原則として、業績への貢献度より当該会社の在籍年数を重視して増加していくため、企業業績に対する貢献度と賃金がアンバランスになるところに特徴があります。
 一般的には、若いときはハードワークが強いられる割には、業績への貢献に比べ、給与は低くなりがちですが、年齢を重ねるにつれ、貢献に比し給与が多くなるといった形になります。若いときの損を年を重ねるにつれて取り返す、という形で、定年まで勤めることで最終的に帳尻が合うようになっています。いわば、終身雇用制に適合した給与体系だといえます。ですから、かつては、新卒の志望者に対して、銀行は次のようなセールストークを行っていました。
 「最初のうちは、他の業界に比べれば、給料は低いと思われるかもしれないが、その差額は徐々に埋めて早晩逆転できる。そして、定年まで勤めた場合の退職金や退職後の企業年金も含めて一生涯で考えれば、あなたに与えられる待遇は決して悪くありません。」
 しかし、かつては魅力的であったこのセールストークも今の時代の若い人には、以下のような理由から、まったく響かないものになっています。

年功序列型賃金を支える条件の崩壊
 この給与体系が有効に機能するためには、条件があります。それは、新入社員として就職した会社が、その社員が定年時はもちろん定年後も、社員に対して好待遇を与えられるほどの高い収益を保ちながら存続するということです。一昔前の銀行はこの条件を満足しているように見えました。つまり、日本経済が順調に拡大している時期の銀行は、潰れる可能性が低く、長期にわたり高収益を期待できる業界だと考えられていたからです。
 しかし、時代は明らかに変わっています。銀行収益の基盤たる日本経済は長期低落傾向を脱せず、さらに、銀行自体もカネ余りによる収益低下に悩まされ、それを打開するための有効な方策を見いだせていません。今、就職しようとする20代前半の人間に若いときの損は、将来になれば取り返せる、などという勧誘文句は説得力を持たないのです。逆に、「お宅の銀行は自分が退職する30数年後に確実に存在していると断言できますか」と問われた時、自信を持って「イエス」と答えられる銀行の人事担当者はどれ位いるのでしょう。

年齢給から業績給への転換
 年功序列型賃金は、長期に安定的に成長すると予見できる経済において魅力的に存在できます。もはやそんな時代ではありません。日本全体も個別企業も、将来は不確定なのですから、今の業績貢献分は今の給与として還元して欲しいという若者の要求は無理からぬものがあります。そうした要求に応えられなければ、優秀な人材を採用できません。そこで、今回のメガバンクの初任給の大幅引き上げに至ったというわけです。
 しかし、初任給をこれだけ引き上げてなお年功序列型賃金を維持しようとすれば、既に在籍する行員に対しても相応の引き上げが必要になりますが、銀行にそんな余裕があるとは思えません。そこで、給与制度の変革が必要になります。
 終身雇用で定年まで勤め上げたときに最終的に帳尻を合わせる年齢給から、現在時点での業績貢献度に応じた業績給に転換せざるを得ないのです。メガバンクは既にそのための準備をしてきていたのだと思われ、今回の初任給の大幅引き上げは、その準備も整い、いよいよ本格的に業績給に転換することの号砲のように聞こえます。

世代による影響の違い
 ただ、注意しなければならないのは、こうした転換が世代間に与える影響の違いです。定年直前の高齢者は年齢給で辛うじて逃げ切れそうです。また、これから働き出そうとする若い人は業績給の時代だと割り切り、どんな会社でも通用する自分のスキルを磨くことに力を注げばいいでしょう。かわいそうなのはこれまで年齢給を信じて、会社に忠誠を尽くし、これから甘い汁を吸おうとしていた壮年世代です。今の体制のまま彼らが逃げ切れるほど日本経済に余裕はありません。彼らが一番割を食いそうです。住宅ローンや子供の教育費など生活費の負担がかさむ世代ですから、彼らの新しい賃金制度に対する軟着陸に向け効率的なリスキリング教育など、企業だけでなく行政も何らかの支援策を検討する必要があるかもしれません。

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「ピーターパンは空を飛べる?」 ~日銀は国民の心理を変えることができたのか~

 黒田総裁の退任を間近に控え、日銀の金融政策はかなり行き詰まっているように見えます。そろそろ何らかの手直しが必要になると思いますが、これまで黒田氏が牽引してきた金融政策はどのように総括できるでしょうか。

物価をコントロールできなかった
 黒田氏は「日本経済低迷の元凶はデフレ(物価の下落)にあり、そして物価は極めてマネタリーな現象であるから、マネーを司る日銀が適切に金融政策を実施すれば、デフレからインフレに転換することができ、その結果、日本経済は活性化する」というリフレ派の理論に基づき、過去にない「異次元の金融緩和政策」を実施してきました。
 結果は見ての通り、黒田日銀のほとんどの期間で、2%のインフレ目標に達することはなく、終盤の1年ほどはインフレにはなりましたが、それは日銀の政策とは無関係に発生したコストプッシュ型インフレであり、その対応に苦慮しています。ここから、日銀には、リフレ派が思い描くように、物価を思い通りにコントロールする力はなかったことが分かります。

国民心理もコントロールできなかった
 金融市場は昔から日銀の主戦場ですから、たとえ意図通りにいかなくても、そこで、日銀が活躍しようとするのは当然です。しかし、黒田日銀はこれまでの日銀が踏み出したことがない局面で影響力を発揮しようとしたことが問題ではなかったのかと私は思います。それは国民のマインド、すなわち「国民の期待」です。
 リフレ派は「日本には長くデフレマインドが根付いているから、国民に物価は上がるものだというインフレマインドを醸成することが必要だ」と主張しました。そのために、人々の「期待」に働きかけることが重要であり、そして日銀は国民の期待を動かす実力を持っているというのです。
 前述したように、物価はマネタリーな現象で、マネーを司るのは日銀で、その日銀が本気で物価を上昇させるといえば、国民は物価上昇の期待を持つようになり、そして、実際に物価は上昇するようになるというのです。これまで、そうならなかったのは日銀が本気ではなかったからであり、日銀が本気になれば、国民のマインドは変わるはずだと、リフレ派は主張しました。日銀の本気度(気合い)が問われているというのです。
 インフレ目標が当初描いた思い通りに達成できなくなった2015年6月、黒田総裁は講演で次のようなことを述べています。
 「ピーターパンは空を飛べるかどうかを疑った瞬間に、永遠に飛べなくなってしまう。大切なことは前向きな姿勢と確信です。」
 私はこの発言を聞いて、黒田総裁を支えていたのは確固とした金融理論というより頑迷ともいえる信念だったのだということが分かり、拍子抜けしたことを思い出します。実態や科学的論拠は脇に置いても、日銀がインフレを起こせることに疑いを持ってはいけない、というのです。まさに「気合いと根性さえあれば何とかなる」といった、どこかの中小企業の社長の売上目標とほとんど変わりません。リフレ派は色々な難しい金融理論を振りかざしていたのですが、人々の期待を重視していました。そして、人々の期待を動かすのは、最終的には日銀の「気合い」であり、日銀の気合いは必ず国民に伝わるのだから、日銀は気合いをしっかり持とうというのです。先の黒田総裁の発言は、その辺の事情をよく示していると思います。
 ですが、大多数の一般庶民は日銀の機能や実力を知らないし、ましてや日銀の気合いがいかほどであるかなどにほとんど関心を持っていません。気合いさえしっかり保てば、国民のマインドを変えられるというのは、明らかに日銀の実力の過信でした。

内部の人間は疑っていた
 23年1月21日の週刊東洋経済に「日銀 宴の終焉」という特集が組まれました。それを読むと、白川前総裁はじめ日銀の内部の人たちは、日銀だけで物価を思い通りに左右するような実力はないことは分かっていたようです。しかし、日銀の外のリフレ理論を強力に信奉する政治家や学者たちは、日銀は力を持っているのに、その実力を十分に使い切っていないと歯がゆく思っていました。そこでリフレ派の官僚であった黒田東彦氏とリフレ派の理論的主柱であった岩田規久男氏を総裁、副総裁に送り込み、金融政策の大転換を図ったというわけです。
 黒田総裁の10年で分かったことは、日銀には国民の心理までも支配する実力はなかったという当然の事実です。日銀の最大の責務は通貨の信認の維持です。今は、黒田日銀の超金融緩和に加え、金融と裏腹にある財政の膨張もあり、通貨の信認が危うくなりそうな状況です。これからの日銀は自らの実力を見極め、本来の責務を果たすことが必要だと私は思います。

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「信越化学金川前会長が語る経営の真髄」

 信越化学工業で、社長、会長として、長く経営を担ってきた金川千尋氏が1月1日、96歳で死去されました。金川氏は信越化学を世界トップの塩化ビニール(塩ビ)樹脂メーカーに育て上げると同時に、同社の時価総額を我が国化学業界随一の水準に引き上げた、カリスマ経営者として有名です。
 その金川氏のインタビュー記事が1月6日付のダイヤモンドオンラインに掲載されました。このインタビューは2016年の90歳当時のものですが、金川氏の経営哲学の一端が垣間見える興味深い内容でした。なにしろ「カリスマ」経営者ですから、カリスマではない一般人にそのままあてはめるのは危険な面もありますが、参考にできる点もあるのではないかと思います。以下では、このインタビューから、金川氏が経営の真髄として強調した2点を紹介します(内容や数値等は特に断りのない限りインタビュー時点のものです)。

1.少数精鋭主義
 金川氏の経営の原点は、当初より金川氏が社長として経営してきた、信越化学の米国子会社シンテックにあり、それを次のように説明しています。
 『シンテックの主力製品である塩ビは、汎用品で製品に差がつけにくいため、コスト競争力が売上増大のカギになります。そこで、シンテックでは「合理的な経営」を徹底的に追求しました。合理的な経営の基本は「少数精鋭主義」にあります。シンテックの営業担当者は必要最小限の人員で、経理及び財務社員はたった2人で、工場長は人事、購買、総務などを1人で担当しています。また、いわゆる「ジョブローテーション」もあまり行いません。一つの仕事をできるだけ長くやらせることで、専門知識のみならず、経営において大事な判断力や執行能力などが身につくようになるからです。』
 一般的には、ジョブローテーションをあまり行わず、同じ仕事を同一の人間が長く続けることは、効率的ではあるでしょうが、ガバナンス的には好ましくないとされます。中枢の人間が病気や事故で欠けると、業務の持続可能性に懸念が生じますし、特定の人間に仕事や権限を集中させると、相互牽制が効かなくなり、不祥事の温床になりやすいからです。そうした弊害を防止するためには、経営トップの監視・管理能力がよほどしっかりしていなくてはなりません。わずかの異変も見逃さないトップが存在すれば、弊害を除去しながら効率性を徹底的に追求することが可能です。中小企業ならトップが経営の隅から隅まで把握して、管理するということはあるでしょうが、信越化学のような大企業でそれを行うのは至難の業です。それができるというところが金川氏のカリスマの、カリスマたるゆえんなのでしょう。

2.重視する経営指標は自己資本比率と当期純利益
 重視している経営指標は、と問われると、次のように答えます。
 『会社が潰れる原因は借金である、という考え方から、自己資本比率を重視します。社長就任時の自己資本比率は38%でしたが、2016年3月末は80.8%となり、無借金経営となっています。自己資本比率が高くなると、ROE(自己資本当期純利益率)を高めるのが難しくなりますが、ROEについては数値目標を定めていません。ROEを一時的に上げるのであれば、自社株買いをして、分母を減らせばよいのですが、それが株主に報いることになるかは疑問です。経営者の務めは企業価値の最大化にあります。その意味で最も重視しているのは当期純利益です。毎年、当期純利益を増やすことが最も明瞭かつ重要な経営指標だと考えています。』
 自己資本比率を高めると、ROEが低くなるのが、多くの経営者の悩みです。そのために自社株買いをして分母を減らしてROEを高める、というのが現在の主流です。しかし、金川氏は自社株買いを推奨せず、ROEを高めるためには、あくまで分子の利益を向上することを目標としているというのです。
 信越化学の2022年3月期の決算短信によれば、自己資本比率は82.1%と高いのですが、ROEも16.3%と決して低くはありません。このROEの水準は24.1%という売上高当期純利益率の圧倒的な高さが支えています。その意味で、上述の少数精鋭主義による合理的経営による利益追求が金川氏の経営哲学の真髄であり、信越化学の経営のバックボーンとして機能していることがうかがえます。

 金川氏は稀代のカリスマ経営者であり、その経営手法を一般人がそのまま援用するのは困難でしょうが、考え方の部分で参考にできる点はあるのかなと思います。また、言っていることはとても分かりやすく、かつ一貫していることにも感心しました。経営者にとって経営理念や経営手法を、説得力を持って語るということは、いつの時代も重要なことであることを再認識しました。


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「経営者保証解除のために経営者側に求められること」

 2022年11月本欄の「経営者保証を不要とするために」でも取り上げましたが、経営者保証の動向が注目されています。2022年11月5日付け日本経済新聞によれば、金融庁は2023年4月から金融機関の中小企業向け融資で、社長が個人で背負う経営者保証を実質的に制限する方向です。保証の必要性など理由を具体的に説明しない限り、金融機関は経営者保証を要求できなくなるようです。
 私は、経営者保証が縮小するのは、融資を受ける会社やその経営者だけでなく金融機関にとっても、ひいては日本経済全体のためにも良いことだと思っているのですが、今の論調にはやや気になる点があります。というのは、経営者保証に内在する問題やその解決を、もっぱら保証を徴求する金融機関に求め、金融機関さえ変われば、すべての問題は解決するかのように論じられているからです。2022年11月の本欄でもその文脈で議論しています。ただ、その主因が金融機関側にあることに異論はないにしても、保証を提供する経営者にまったく非がないかといえば、そうとも言い切れません。経営者側にも改善すべき点は存在します。そこで、今回は経営者側の問題点とその対応を考えてみたいと思います。

金融機関の不安の払拭
 本来、法的には会社と経営者(主として社長になると思います)は別人格ですから、会社の借入金の弁済を経営者が保証するというのは、筋が通っていません。にもかかわらず、金融機関が経営者に保証を求めるのは、保証なしの融資には金融機関に不安があるからです。ですから、経営者の側も、経営者保証を外すためには、金融機関の不安を払拭させる努力をしておかなければなりません。本稿では、そうした観点から、経営者側の改善事項として、会社勘定と経営者個人勘定の明確な分離と適正な決算書の作成の2点について指摘しておきたいと思います。

会社と個人の勘定の分離
 会社の株式の大部分を所有する経営者であれば、個人的な利得を図るために会社を恣意的に利用することは不可能ではありません。例えば、ほとんど働かない家族を役職員にして、給与を支払ったり、私的に利用する家や自動車を会社で所有したりして、正当な報酬や配当とは別に会社から資金を不当に引き出すような行為です。こうしたことが積み重なり、会社が倒産すれば、会社にカネを貸した金融機関が、不当に会社から蓄財を行った経営者個人に弁済を求めようとするのは、無理もないことです。ですから、経営者は金融機関にそうした不信感を抱かせないように、公私のけじめをしっかり付けておくことが求められます。

適正な決算書
 経営者保証がなければ、カネを貸す金融機関の返済財源は会社財産に限定されます。会社財産及び損益の状況は決算書で表示されます。融資する金融機関としては決算書が最も重要な与信判断資料となりますから、決算書が正確でなければ困ります。適正でない決算書を提出され、それに基づき融資を行えば、だまされたことになります。そして、その会社が倒産してしまえば、金融機関はその責任を決算書の作成責任者である経営者に求めるのは当然です。経営者保証の解除は経営者に決算書の適正性をより強く要求します(当然ですが、決算書を意図的に改竄する粉飾決算などは論外です)。

貸し手責任の自覚
 経営者保証の解除は経営者にとって望ましいことですが、経営者側にも相応の責任が求められることを忘れてはいけません。上述した、公私のけじめと適正な決算書の提出は、経営者保証解除のための最低限の要件だと思います。
逆に言えば、その責務を誠実に履行している自信があれば、取引している金融機関に対して堂々と経営者保証の解除を要求することができると考えます。その上で、会社が倒産して、カネを貸している金融機関に焦げ付きが発生したとしたら、金融機関はその責任を自らの貸し手責任として引き受けるべきでしょう。そうなってしまったら、経営者も金融機関も採算性の悪い事業に早期に見切りを付け、新しい事業の開拓に向かう方が日本経済全体としてもプラスになると思います。
 そのためには、金融機関側は担保や保証は多ければ多いほどいいという発想を捨て去ると同時に、経営者側も経理と決算の透明性を確保することが不可欠なのです。


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「日本経済を甘やかす低金利政策」

 高まるインフレへの警戒感から、アメリカを筆頭に多くの欧米諸国が金融政策を転換し、利上げに転じています。一方、日銀は、我が国のインフレは欧米ほどではないこと、及び経済状況が一向に好転しないことなどを理由に、かたくなに金融緩和姿勢を崩しません。円安を阻止するためには金融引き締め、すなわち利上げが必要との意見も根強いのですが、この状況で利上げをすれば、日本経済に深刻な打撃を与えることは間違いありません。つまり、今の日本経済は低金利でしか生きていけなくなっている状況にあるといえます。
 資本主義における経済行為とは、財源の制約を背景に、多数の選択肢に優先順位をつけながら、行うべき事業や購入すべき資産を取捨選択することだ、ということができます。ところが、大量の資金供給を低金利で行う金融緩和は、以下に述べるように、その優先順位を曖昧にして、選択を不要にすることで現状維持に安住させ、その結果、将来の経済発展を阻害しているように思います。

財政支出...大砲もバターも
 低金利・大量資金供給の恩恵を最も受けているのは国家財政です。国債発行残高は1000兆円を突破、国家債務の対GDP比率は250%を超え、先進国ではダントツの水準にあります。そうした状況でも、財政を組むことが出来るのは低金利のおかげです。ただ、それが逆に放漫財政を許容しているともいえます。
 財政を考えるときに、よく出てくるのは「大砲かバターか」という言葉です。大砲は防衛の、バターは民生の象徴です。不穏な国際情勢から防衛予算の増大が求められ、一方、コロナ禍で苦しむ国民生活支援も必要になります。財政はそのどちらかを選択しなければならないというのです。しかし、それは財源に限りがあるからこその話です。金利がほとんどゼロに近く、しかも最終的には日銀がその購入を約束している国債を財源にすることができれば、無理に「大砲かバター」を選択する必要はなく、「大砲もバターも」どちらも手にすることができます。こうした財政制約が緩い状況だから、バラマキ型の無駄な支出が可能となり、日本の財政は肥大化してしまっています。この状態が永遠に続くのであればそれでもいいのですが、いつかは必ず限界が来ます。資金が不足し金利が上昇する事態となれば、「大砲かバター」を今よりももっと厳しい環境下で、より苛烈な形で選択せざるを得なくなります。

民間企業...ゾンビ企業の温存
 長期間続く低成長の下で、金融機関は貸出先に枯渇し、収益性に問題にある企業にまで、低金利で多額の融資を行っています。近年ではコロナ禍対応のため実質無利子、無担保の「ゼロゼロ融資」まで創設されました。
 金融には産業の新陳代謝を促す機能も期待されています。金利負担に耐えられない低収益の企業には退出してもらい、新しい成長性が高い企業が参入し、人的、物的資源を低収益企業から高収益企業に移動することにより、経済は成長することができます。ただ、新陳代謝機能を十分に発揮させるためには、金融の量的制限とある程度の金利が必要です。しかし、現在のような大量の低金利融資が蔓延すると、低収益企業が温存されてしまい、成長企業への資源移転がうまくいきません。もし、ここで急に金利が上昇すれば、人的、物的資源の受け皿になるべく成長企業が十分に存在しないまま、低収益企業が退出しなければならなくなってしまいます。

選択を迫られる局面は来るか
 このように、日本経済は低金利のぬるま湯の中で、厳しい選択を迫られることなく、何となく生存できている、といってもいい状況です。本来アベノミクスでは、金融緩和で時間稼ぎをしているうちに、成長戦略を実行するはずでした。しかし、肝心の成長戦略が起動しない中で、時間稼ぎであるはずの低金利の金融緩和だけが継続し、経済全体がそれに甘える体質となってしまいました。
 金融緩和が続く限り、現状維持はできるかもしれませんが、いつまでもこの状況を続けることはできません。今の金融緩和は病巣を膨らませながら、解決を先送りにしているに過ぎません。今は日銀が主体的に金融政策を判断できていますが、国債発行が累増し国内貯蓄を食い潰してしまうとか、あるいはその前に個人貯蓄が海外に流出するキャピタルフライトが本格化すれば、資金不足になり、マーケットに追い込まれる形で利上げせざるをえなくなる可能性もあります。そうなると、より厳しい選択を迫られます。
 先般のイギリスのトラス前首相の財政政策に起因する金融市場の混乱を見れば、政府も民間企業も、そうしたことがあることは想定しておく必要はあるでしょう。

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「経営者保証を不要とするために」

 経営者保証とは主として中小企業において、経営者個人(多くの場合は社長)が自ら経営する会社の借入金の返済を保証するものです。以下に述べるような問題意識から、金融庁は経営者保証の改善を目指しており、10月4日、その状況を発表しました。それによれば、2021年10月から2022年3月において、経営者保証の地域銀行の新規融資に占める依存度は64%(地域銀行99行の平均)になっており、前年同期と比べた減少幅はわずか2%に留まっています(2022年10月4日付け日本経済新聞)。
 経営者保証の存在は、万一の場合、経営者の個人資産までなくなってしまうのですから、個人生活を脅かします。それは同時に、企業家のリスク挑戦意欲の減退を招き、経済活性化の妨げにもなります。今回の発表を見ると、多くの金融関係者が問題を指摘し、監督官庁も是正を要求している割にはさほど改善されていないことが分かります。そこで、今回は経営者保証の今後の方向性について考えてみます
 まず、保証を取る銀行側の事情から見てみましょう。

人を見るか事業を見るか
 体制が確立されている大企業は別として、組織が未熟な中小企業への融資に際し、銀行融資の審査ポイントとして重視すべきは、人(経営者)なのか事業なのか、ということは古くから大きなテーマでした。人の重要性を強調する論者は、経営者の信用は事業成功の大きな要因であること、そして、もし万一事業に失敗しても、信用できる経営者であれば、借入金の返済についても誠実な対応が期待できる、といったことを主張します。一方、事業の方が重要だという人は、融資の返済は直接的には融資対象である事業から行うのだから、経営者の人格など関係なく、事業の状況や将来性だけに焦点を絞るべきだとします。
 日本の銀行では昔から、「人を見て融資をしろ」というようなことがよく言われました。最終的には人(経営者)の信頼性が重要だということになれば、事業の現況や収益予想を気にかけるより、経営者の健康状態、精神状態、あるいは家族の状況などが重要になります。その延長線上に、「最終的には私財を投じても返済してもらう」という経営者保証が存在し、広く普及したと考えられます。

トコトン回収するか、早く処理して転進するか
 経営者保証の有無は、銀行における融資金の回収業務という点から見れば、次のようにいうことができます。
 経営者保証がある場合は、事業を行う会社が破綻しても、回収業務は終わりではなく、次に経営者個人からの回収に向かいます。銀行にとっては会社以外の補完的な回収手段があるわけですから、好ましいように思えるかもしれません。しかし、格別の悪意のない普通の経営者であれば、経営する会社が破綻するほどに追い込まれれば、個人財産がそれほど多額にあるわけではなく、経営者個人からの回収は労力も時間もかかる割に、実りはそれほど期待できません。また、最終的には個人生活まで踏み込むこともありますから、銀行員として気が進む仕事でもありません。
 一方、経営者保証がなければ、会社が破綻し、残余財産で回収できなければ、その時点で貸倒損失を計上すると同時に融資金額を帳簿から落とし、その案件はそれで終了となります。その結果、銀行員は心機一転新しい仕事に向かうことができます。
 経営者保証を付けて、わずかの可能性がある限り、トコトン回収努力を続けるというのは、一見、銀行の本来の姿のように見えます。しかし、現代のように変化の激しい時代には、限りある人的資源を後ろ向きの仕事にいつまでも貼り付けることが、いいことなのかは疑問です。そうした仕事には早々に見切りを付けて、新規の融資開拓に向かう方がはるかに生産的だと、私は思います。

事業に真摯に向き合う
 経営者保証は経済成長期の資金需要が旺盛であった、貸し手優位の時の前時代の遺物のようなものです。今はカネ余りで、借り手優位に変わっています。銀行はいつまでも昔の流儀にこだわり、担保や保証は多いほどいいという発想は捨て去るべきでしょう。融資金の返済財源は事業が生み出すキャッシュフローだけだと割り切った方が時流に即していると思います。
 ただ、そこに踏み出すためには、銀行は会社が行う事業にもっと真剣に向き合わなければなりません。返済財源は事業からしか出てこないのですから、融資期間中の事業の損益やキャッシュフローの状況を常時フォローし、場合によっては事業好転のためのアドバイスも必要になります。そのためには、取引先に一層踏み込むと同時に、業界知識の取得も不可欠になります。
 経営者保証を原則不要とする融資を普遍化することは、沈滞が続く日本の経済の活性化に寄与すると考えます。

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「株式評価方法の違いを利用したソフトバンクグループの財務戦略」

 ソフトバンクグループが苦境に陥っています。2022年4~6月期の連結決算の最終損益は3兆1627億円の赤字と、4~6月期の日本企業の赤字額としては過去最大という不名誉な記録を打ち立てました。その赤字対策として、虎の子の中国のIT企業アリババ集団株式の一部を売却することを決め、その結果、アリババ集団はソフトバンクグループの関連会社(持分法適用会社)から外れ、2022年7~9月期に再評価益など4.6兆円を計上することとなりました(以上、2022年8月11日付け日本経済新聞による)。
 この記事のポイントはソフトバンクグループが所有していたアリババ集団株式の一部を売却することにより、アリババ集団はソフトバンクグループの関連会社ではなくなり、売らずに残った部分の株式の評価方法が変わり、評価益を計上するところにあります。

持分法と市場価格
 ある会社が上場している会社の株式を取得すると(子会社には該当しないものとします)、連結財務諸表を作成する際に、取得した株式の評価をしなければなりませんが、評価方法には主として2つの方法が考えられます。一つはその会社の事業実績を連結財務諸表に取り込む方法です(これを持分法といいます)。もう一つは、市場で付いている株価をそのまま所有している株式の評価方法とする方法です。会計では、関連会社は持分法により、それ以外の会社(以下では、一般会社と呼びます)は市場価格により評価することになっています。
 関連会社株式と一般株式を区別する本質的考え方の違いは、親会社がその会社の事業に関与し、一定の責任を保有するかどうかにあります。事業に関連性があり、両社の経営陣に関与の共通認識があれば、親会社はその会社の株式を安易に売却せず、ある程度長期に保有し、ロングスパンで関連会社を成長させようとします。逆に事業に関連性がなく、単に投資目的での保有だとすれば、親会社は外部者として所有する株式を自分の会社の状況やその株式の市場価格を見ながら自社に最も好都合な時期に売却していくことになります。
 グループ会社として事業に関与するとすれば、市場価格ではなく、関連会社の事業成績に応じた金額を連結財務諸表に取り込むことが合理的です。一方、グループ外の会社として事業に関与しないのであれば、一般株式として自社に最も有利なときに売却するのですから、時価である市場価格で評価するのが妥当となります。
 本質的な考え方は上記の通りですが、会計では関連会社であるかどうかは主として外形基準で判断します。厳密な定義はやや煩雑ですが、ベースの判断基準は親会社の株式所有比率によります。大雑把に言えば、親会社の株式所有比率が20%を超えれば関連会社となり(さらに所有比率が増大し、50%を超えると子会社となる)、15%~20%はグレーゾーンで、15%未満だと一般会社となります。

関連会社から一般会社に
 上記を踏まえ、冒頭のソフトバンクグループのアリババ集団株式の売却を振り返ってみます。売却前、ソフトバンクグループはアリババ集団の株式を23.7%所有していましたから、アリババ集団は関連会社でした。ですから、ソフトバンクグループの連結決算ではアリババ集団株式を持分法で評価し、アリババ集団の事業成績を取り込んでいました。ところが、今回の巨額の赤字発生を受け、ソフトバンクグループはアリババ集団の株式9.1%を売却し、株式の所有比率は14.6%に下がり、関連会社から外れ一般会社になりました。その結果、株式の評価方法は持分法から市場価格に変わりました。それまで、ソフトバンクグループが所有するアリババ集団の株式の簿価はアリババ集団の財務諸表の自己資本をベースに計算したものでしたから、それを市場で売却すれば、売却分9.1%について市場価格と簿価との差額が売却益として計上されることに加え、残存する14.6%分についても、株式の評価方法が持分法から市場価格に変わることにより、評価益が計上されることになったのです。
 その評価益のボリュームを測る指標としてPBR(株価純資産倍率)が利用できます。

PBRが高いアリババ集団株式
 PBRは株価を1株当たり自己資本で割ったものです。1株当たり自己資本は上記の持分法に近似すると考えることができますので、PBRが大きいほど、市場価格と持分法による価格との乖離幅が大きく、評価益のボリュームが大きくなります。9月10日時点でのニューヨーク証券取引所の株価で計算すると、アリババ集団株式のPBRは12.9倍となっています。帳簿上の自己資本に比べて、はるかに高い株価が形成されているので、ソフトバンクグループは今回の処理により大きな評価益を計上できたことが分かります。
 これまでソフトバンクグループはアリババ集団を関連会社として抱え、その株式を持分法で評価することで、巨額の含み益を保有し、決算の状況を見ながら株式売却を行い、売却益を計上することができました。いわば、アリババ集団株式は利益を捻出する都合のいい財布の役割を担っていたといえます。しかし、ここで財布の中身をさらし、評価益を一気に計上したことにより、これからはアリババ集団株式の市場価格がストレートにソフトバンクグループの連結決算を形成することになります。
 今後、ソフトバンクグループは、事業会社というより投資会社としての側面を一層強くして、その業績はこれまでにも増して株式市場の動向に翻弄されることになりそうです。

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「統合政府論の危険性」

 最近、「統合政府」という言葉をよく目にするようになりました。統合政府とは政府と中央銀行(日本では、日銀)を一体化したものを言い、国の財政状態は統合政府として考えるべきだと主張します。日本は国債を主体とする政府債務が膨大にあり、その財政状態は危機的だとする財政規律派に対する反論として、提示されている論理です。

債権・債務は相殺される
 統合政府の考え方に立てば、日銀は政府の実質子会社であり、政府発行の国債を日銀が保有しているということは、子会社が親会社の債務を負っているに過ぎないことになります。そこで、政府と日銀を統合した連結財務諸表を作れば、親子会社の債権・債務が相殺されてしまいます。すると、日銀は国債の50%以上を所有しているのですから、政府債務は激減し、その結果日本の財政は危機的ではなくなり、逆に財政余力が生じ、今後とも国債発行は十分に可能だと、議論は財政拡大に発展していきます。
 統合政府論を是とすれば、日銀は通貨発行権を持つのですから、通貨発行により日銀はいくらでも国債を購入することができてしまいます。そして、統合政府の連結財務諸表を作れば、債権・債務が相殺され、政府債務がなくなってしまうというのです。このまるで魔法のような方法により、日本は財政破綻を心配することなく、これからも国債を増発できることになります。本当にそのように考えてもいいのでしょうか。

日銀は政府の子会社なのか
 安倍元総理が「日銀は政府の子会社だから、日銀が保有している国債は、返済する必要がなく、日本の財政に心配はいらない」と発言し、大きな話題になりました。これも統合政府論の立場からの発言です。日銀が政府の子会社かどうかについては、鈴木財務相が「政府は日銀に55%出資しているが、議決権はなく、日銀は日銀法により自主的に運営されており、会社法に規定する子会社ではない」との見解が示されています。ただ、ここではそうした法的見解とは別に会社法上の子会社に引きつけて、政府と日銀の関係を考えてみます。
 会社法上の親子会社を連結財務諸表において一体で評価できるのは、親子会社が目指す目的が一致しているからです。その目的は一般的には、親会社の株主価値の最大化だとされます。連結を構成するグループ企業は親会社の株主価値最大化のために、親会社指揮の下、一体として事業運営を行っているのですから、連結で評価されて当然です。
 しかし、政府と日銀は元々目指すものが異なります。政府は国民の生活水準向上のために、福祉、公共投資、教育、防衛など様々な歳出を行います。一方、日銀の最大の目的は国民が生活する上で欠かせない通貨の価値の安定です。
 政府は歳出の財源として税金を徴収しますが、税収で不足する財源を主として国債発行で補填します。政府の立場からは、歳出の財源となる国債発行が安価かつ円滑に行われることを望みます。それには日銀が通貨を発行して、国債を購入してくれることが好都合になります。一方、日銀とすれば、政府の要望通り国債を購入し、経済実態以上に通貨を過剰に膨張させすぎると、通貨価値の安定を損なってしまいます。

デフレ局面からインフレ局面へ
 統合政府論が有効に成立するには、少なくとも政府と日銀が同じ方角を向いていなければなりません。政府と日銀の目指す方向性は状況により、近くなったり遠くなったりします。これまでは、政府と日銀の方向性は大体同じだったということができましたが、これからはそう簡単ではありません。
 デフレとは通貨価値が強すぎる経済状態ですから、デフレを克服するためには、ある程度通貨価値を弱める(通貨を増加させる)政策が必要となります。当然のことながら、政府はいつの世でも財政を拡張させたいですから、「デフレからの脱却」という局面においては、政府と日銀はある程度目的を一致させることができました。この段階なら、統合政府論も一定の説得力を持ちます。
 しかし、インフレが懸念される状況になると、事情が変わります。インフレが激しくなると通貨価値を毀損し、国民生活を混乱に陥れます。インフレが懸念される状況下でも、統合政府論に基づき、日銀が政府と一体となり、通貨を膨張させる方向に向かうのは危険です。日銀は通貨価値の安定を図るために、膨張する政府の財政を監視する役割を持つことが期待されるはずです。私は徐々にそういう局面に近づいているのではないかと思います。
 中央銀行の通称は「通貨の番人」です。この言葉は中央銀行(日銀)の本来の役割が通貨価値の安定であることを雄弁に物語っています。統合政府論の最大の欠陥は日銀にその本来の役割を忘却させる危険性があることにあります。

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