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「ピーターパンは空を飛べる?」 ~日銀は国民の心理を変えることができたのか~

 黒田総裁の退任を間近に控え、日銀の金融政策はかなり行き詰まっているように見えます。そろそろ何らかの手直しが必要になると思いますが、これまで黒田氏が牽引してきた金融政策はどのように総括できるでしょうか。

物価をコントロールできなかった
 黒田氏は「日本経済低迷の元凶はデフレ(物価の下落)にあり、そして物価は極めてマネタリーな現象であるから、マネーを司る日銀が適切に金融政策を実施すれば、デフレからインフレに転換することができ、その結果、日本経済は活性化する」というリフレ派の理論に基づき、過去にない「異次元の金融緩和政策」を実施してきました。
 結果は見ての通り、黒田日銀のほとんどの期間で、2%のインフレ目標に達することはなく、終盤の1年ほどはインフレにはなりましたが、それは日銀の政策とは無関係に発生したコストプッシュ型インフレであり、その対応に苦慮しています。ここから、日銀には、リフレ派が思い描くように、物価を思い通りにコントロールする力はなかったことが分かります。

国民心理もコントロールできなかった
 金融市場は昔から日銀の主戦場ですから、たとえ意図通りにいかなくても、そこで、日銀が活躍しようとするのは当然です。しかし、黒田日銀はこれまでの日銀が踏み出したことがない局面で影響力を発揮しようとしたことが問題ではなかったのかと私は思います。それは国民のマインド、すなわち「国民の期待」です。
 リフレ派は「日本には長くデフレマインドが根付いているから、国民に物価は上がるものだというインフレマインドを醸成することが必要だ」と主張しました。そのために、人々の「期待」に働きかけることが重要であり、そして日銀は国民の期待を動かす実力を持っているというのです。
 前述したように、物価はマネタリーな現象で、マネーを司るのは日銀で、その日銀が本気で物価を上昇させるといえば、国民は物価上昇の期待を持つようになり、そして、実際に物価は上昇するようになるというのです。これまで、そうならなかったのは日銀が本気ではなかったからであり、日銀が本気になれば、国民のマインドは変わるはずだと、リフレ派は主張しました。日銀の本気度(気合い)が問われているというのです。
 インフレ目標が当初描いた思い通りに達成できなくなった2015年6月、黒田総裁は講演で次のようなことを述べています。
 「ピーターパンは空を飛べるかどうかを疑った瞬間に、永遠に飛べなくなってしまう。大切なことは前向きな姿勢と確信です。」
 私はこの発言を聞いて、黒田総裁を支えていたのは確固とした金融理論というより頑迷ともいえる信念だったのだということが分かり、拍子抜けしたことを思い出します。実態や科学的論拠は脇に置いても、日銀がインフレを起こせることに疑いを持ってはいけない、というのです。まさに「気合いと根性さえあれば何とかなる」といった、どこかの中小企業の社長の売上目標とほとんど変わりません。リフレ派は色々な難しい金融理論を振りかざしていたのですが、人々の期待を重視していました。そして、人々の期待を動かすのは、最終的には日銀の「気合い」であり、日銀の気合いは必ず国民に伝わるのだから、日銀は気合いをしっかり持とうというのです。先の黒田総裁の発言は、その辺の事情をよく示していると思います。
 ですが、大多数の一般庶民は日銀の機能や実力を知らないし、ましてや日銀の気合いがいかほどであるかなどにほとんど関心を持っていません。気合いさえしっかり保てば、国民のマインドを変えられるというのは、明らかに日銀の実力の過信でした。

内部の人間は疑っていた
 23年1月21日の週刊東洋経済に「日銀 宴の終焉」という特集が組まれました。それを読むと、白川前総裁はじめ日銀の内部の人たちは、日銀だけで物価を思い通りに左右するような実力はないことは分かっていたようです。しかし、日銀の外のリフレ理論を強力に信奉する政治家や学者たちは、日銀は力を持っているのに、その実力を十分に使い切っていないと歯がゆく思っていました。そこでリフレ派の官僚であった黒田東彦氏とリフレ派の理論的主柱であった岩田規久男氏を総裁、副総裁に送り込み、金融政策の大転換を図ったというわけです。
 黒田総裁の10年で分かったことは、日銀には国民の心理までも支配する実力はなかったという当然の事実です。日銀の最大の責務は通貨の信認の維持です。今は、黒田日銀の超金融緩和に加え、金融と裏腹にある財政の膨張もあり、通貨の信認が危うくなりそうな状況です。これからの日銀は自らの実力を見極め、本来の責務を果たすことが必要だと私は思います。

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「信越化学金川前会長が語る経営の真髄」

 信越化学工業で、社長、会長として、長く経営を担ってきた金川千尋氏が1月1日、96歳で死去されました。金川氏は信越化学を世界トップの塩化ビニール(塩ビ)樹脂メーカーに育て上げると同時に、同社の時価総額を我が国化学業界随一の水準に引き上げた、カリスマ経営者として有名です。
 その金川氏のインタビュー記事が1月6日付のダイヤモンドオンラインに掲載されました。このインタビューは2016年の90歳当時のものですが、金川氏の経営哲学の一端が垣間見える興味深い内容でした。なにしろ「カリスマ」経営者ですから、カリスマではない一般人にそのままあてはめるのは危険な面もありますが、参考にできる点もあるのではないかと思います。以下では、このインタビューから、金川氏が経営の真髄として強調した2点を紹介します(内容や数値等は特に断りのない限りインタビュー時点のものです)。

1.少数精鋭主義
 金川氏の経営の原点は、当初より金川氏が社長として経営してきた、信越化学の米国子会社シンテックにあり、それを次のように説明しています。
 『シンテックの主力製品である塩ビは、汎用品で製品に差がつけにくいため、コスト競争力が売上増大のカギになります。そこで、シンテックでは「合理的な経営」を徹底的に追求しました。合理的な経営の基本は「少数精鋭主義」にあります。シンテックの営業担当者は必要最小限の人員で、経理及び財務社員はたった2人で、工場長は人事、購買、総務などを1人で担当しています。また、いわゆる「ジョブローテーション」もあまり行いません。一つの仕事をできるだけ長くやらせることで、専門知識のみならず、経営において大事な判断力や執行能力などが身につくようになるからです。』
 一般的には、ジョブローテーションをあまり行わず、同じ仕事を同一の人間が長く続けることは、効率的ではあるでしょうが、ガバナンス的には好ましくないとされます。中枢の人間が病気や事故で欠けると、業務の持続可能性に懸念が生じますし、特定の人間に仕事や権限を集中させると、相互牽制が効かなくなり、不祥事の温床になりやすいからです。そうした弊害を防止するためには、経営トップの監視・管理能力がよほどしっかりしていなくてはなりません。わずかの異変も見逃さないトップが存在すれば、弊害を除去しながら効率性を徹底的に追求することが可能です。中小企業ならトップが経営の隅から隅まで把握して、管理するということはあるでしょうが、信越化学のような大企業でそれを行うのは至難の業です。それができるというところが金川氏のカリスマの、カリスマたるゆえんなのでしょう。

2.重視する経営指標は自己資本比率と当期純利益
 重視している経営指標は、と問われると、次のように答えます。
 『会社が潰れる原因は借金である、という考え方から、自己資本比率を重視します。社長就任時の自己資本比率は38%でしたが、2016年3月末は80.8%となり、無借金経営となっています。自己資本比率が高くなると、ROE(自己資本当期純利益率)を高めるのが難しくなりますが、ROEについては数値目標を定めていません。ROEを一時的に上げるのであれば、自社株買いをして、分母を減らせばよいのですが、それが株主に報いることになるかは疑問です。経営者の務めは企業価値の最大化にあります。その意味で最も重視しているのは当期純利益です。毎年、当期純利益を増やすことが最も明瞭かつ重要な経営指標だと考えています。』
 自己資本比率を高めると、ROEが低くなるのが、多くの経営者の悩みです。そのために自社株買いをして分母を減らしてROEを高める、というのが現在の主流です。しかし、金川氏は自社株買いを推奨せず、ROEを高めるためには、あくまで分子の利益を向上することを目標としているというのです。
 信越化学の2022年3月期の決算短信によれば、自己資本比率は82.1%と高いのですが、ROEも16.3%と決して低くはありません。このROEの水準は24.1%という売上高当期純利益率の圧倒的な高さが支えています。その意味で、上述の少数精鋭主義による合理的経営による利益追求が金川氏の経営哲学の真髄であり、信越化学の経営のバックボーンとして機能していることがうかがえます。

 金川氏は稀代のカリスマ経営者であり、その経営手法を一般人がそのまま援用するのは困難でしょうが、考え方の部分で参考にできる点はあるのかなと思います。また、言っていることはとても分かりやすく、かつ一貫していることにも感心しました。経営者にとって経営理念や経営手法を、説得力を持って語るということは、いつの時代も重要なことであることを再認識しました。


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「経営者保証解除のために経営者側に求められること」

 2022年11月本欄の「経営者保証を不要とするために」でも取り上げましたが、経営者保証の動向が注目されています。2022年11月5日付け日本経済新聞によれば、金融庁は2023年4月から金融機関の中小企業向け融資で、社長が個人で背負う経営者保証を実質的に制限する方向です。保証の必要性など理由を具体的に説明しない限り、金融機関は経営者保証を要求できなくなるようです。
 私は、経営者保証が縮小するのは、融資を受ける会社やその経営者だけでなく金融機関にとっても、ひいては日本経済全体のためにも良いことだと思っているのですが、今の論調にはやや気になる点があります。というのは、経営者保証に内在する問題やその解決を、もっぱら保証を徴求する金融機関に求め、金融機関さえ変われば、すべての問題は解決するかのように論じられているからです。2022年11月の本欄でもその文脈で議論しています。ただ、その主因が金融機関側にあることに異論はないにしても、保証を提供する経営者にまったく非がないかといえば、そうとも言い切れません。経営者側にも改善すべき点は存在します。そこで、今回は経営者側の問題点とその対応を考えてみたいと思います。

金融機関の不安の払拭
 本来、法的には会社と経営者(主として社長になると思います)は別人格ですから、会社の借入金の弁済を経営者が保証するというのは、筋が通っていません。にもかかわらず、金融機関が経営者に保証を求めるのは、保証なしの融資には金融機関に不安があるからです。ですから、経営者の側も、経営者保証を外すためには、金融機関の不安を払拭させる努力をしておかなければなりません。本稿では、そうした観点から、経営者側の改善事項として、会社勘定と経営者個人勘定の明確な分離と適正な決算書の作成の2点について指摘しておきたいと思います。

会社と個人の勘定の分離
 会社の株式の大部分を所有する経営者であれば、個人的な利得を図るために会社を恣意的に利用することは不可能ではありません。例えば、ほとんど働かない家族を役職員にして、給与を支払ったり、私的に利用する家や自動車を会社で所有したりして、正当な報酬や配当とは別に会社から資金を不当に引き出すような行為です。こうしたことが積み重なり、会社が倒産すれば、会社にカネを貸した金融機関が、不当に会社から蓄財を行った経営者個人に弁済を求めようとするのは、無理もないことです。ですから、経営者は金融機関にそうした不信感を抱かせないように、公私のけじめをしっかり付けておくことが求められます。

適正な決算書
 経営者保証がなければ、カネを貸す金融機関の返済財源は会社財産に限定されます。会社財産及び損益の状況は決算書で表示されます。融資する金融機関としては決算書が最も重要な与信判断資料となりますから、決算書が正確でなければ困ります。適正でない決算書を提出され、それに基づき融資を行えば、だまされたことになります。そして、その会社が倒産してしまえば、金融機関はその責任を決算書の作成責任者である経営者に求めるのは当然です。経営者保証の解除は経営者に決算書の適正性をより強く要求します(当然ですが、決算書を意図的に改竄する粉飾決算などは論外です)。

貸し手責任の自覚
 経営者保証の解除は経営者にとって望ましいことですが、経営者側にも相応の責任が求められることを忘れてはいけません。上述した、公私のけじめと適正な決算書の提出は、経営者保証解除のための最低限の要件だと思います。
逆に言えば、その責務を誠実に履行している自信があれば、取引している金融機関に対して堂々と経営者保証の解除を要求することができると考えます。その上で、会社が倒産して、カネを貸している金融機関に焦げ付きが発生したとしたら、金融機関はその責任を自らの貸し手責任として引き受けるべきでしょう。そうなってしまったら、経営者も金融機関も採算性の悪い事業に早期に見切りを付け、新しい事業の開拓に向かう方が日本経済全体としてもプラスになると思います。
 そのためには、金融機関側は担保や保証は多ければ多いほどいいという発想を捨て去ると同時に、経営者側も経理と決算の透明性を確保することが不可欠なのです。


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「日本経済を甘やかす低金利政策」

 高まるインフレへの警戒感から、アメリカを筆頭に多くの欧米諸国が金融政策を転換し、利上げに転じています。一方、日銀は、我が国のインフレは欧米ほどではないこと、及び経済状況が一向に好転しないことなどを理由に、かたくなに金融緩和姿勢を崩しません。円安を阻止するためには金融引き締め、すなわち利上げが必要との意見も根強いのですが、この状況で利上げをすれば、日本経済に深刻な打撃を与えることは間違いありません。つまり、今の日本経済は低金利でしか生きていけなくなっている状況にあるといえます。
 資本主義における経済行為とは、財源の制約を背景に、多数の選択肢に優先順位をつけながら、行うべき事業や購入すべき資産を取捨選択することだ、ということができます。ところが、大量の資金供給を低金利で行う金融緩和は、以下に述べるように、その優先順位を曖昧にして、選択を不要にすることで現状維持に安住させ、その結果、将来の経済発展を阻害しているように思います。

財政支出...大砲もバターも
 低金利・大量資金供給の恩恵を最も受けているのは国家財政です。国債発行残高は1000兆円を突破、国家債務の対GDP比率は250%を超え、先進国ではダントツの水準にあります。そうした状況でも、財政を組むことが出来るのは低金利のおかげです。ただ、それが逆に放漫財政を許容しているともいえます。
 財政を考えるときに、よく出てくるのは「大砲かバターか」という言葉です。大砲は防衛の、バターは民生の象徴です。不穏な国際情勢から防衛予算の増大が求められ、一方、コロナ禍で苦しむ国民生活支援も必要になります。財政はそのどちらかを選択しなければならないというのです。しかし、それは財源に限りがあるからこその話です。金利がほとんどゼロに近く、しかも最終的には日銀がその購入を約束している国債を財源にすることができれば、無理に「大砲かバター」を選択する必要はなく、「大砲もバターも」どちらも手にすることができます。こうした財政制約が緩い状況だから、バラマキ型の無駄な支出が可能となり、日本の財政は肥大化してしまっています。この状態が永遠に続くのであればそれでもいいのですが、いつかは必ず限界が来ます。資金が不足し金利が上昇する事態となれば、「大砲かバター」を今よりももっと厳しい環境下で、より苛烈な形で選択せざるを得なくなります。

民間企業...ゾンビ企業の温存
 長期間続く低成長の下で、金融機関は貸出先に枯渇し、収益性に問題にある企業にまで、低金利で多額の融資を行っています。近年ではコロナ禍対応のため実質無利子、無担保の「ゼロゼロ融資」まで創設されました。
 金融には産業の新陳代謝を促す機能も期待されています。金利負担に耐えられない低収益の企業には退出してもらい、新しい成長性が高い企業が参入し、人的、物的資源を低収益企業から高収益企業に移動することにより、経済は成長することができます。ただ、新陳代謝機能を十分に発揮させるためには、金融の量的制限とある程度の金利が必要です。しかし、現在のような大量の低金利融資が蔓延すると、低収益企業が温存されてしまい、成長企業への資源移転がうまくいきません。もし、ここで急に金利が上昇すれば、人的、物的資源の受け皿になるべく成長企業が十分に存在しないまま、低収益企業が退出しなければならなくなってしまいます。

選択を迫られる局面は来るか
 このように、日本経済は低金利のぬるま湯の中で、厳しい選択を迫られることなく、何となく生存できている、といってもいい状況です。本来アベノミクスでは、金融緩和で時間稼ぎをしているうちに、成長戦略を実行するはずでした。しかし、肝心の成長戦略が起動しない中で、時間稼ぎであるはずの低金利の金融緩和だけが継続し、経済全体がそれに甘える体質となってしまいました。
 金融緩和が続く限り、現状維持はできるかもしれませんが、いつまでもこの状況を続けることはできません。今の金融緩和は病巣を膨らませながら、解決を先送りにしているに過ぎません。今は日銀が主体的に金融政策を判断できていますが、国債発行が累増し国内貯蓄を食い潰してしまうとか、あるいはその前に個人貯蓄が海外に流出するキャピタルフライトが本格化すれば、資金不足になり、マーケットに追い込まれる形で利上げせざるをえなくなる可能性もあります。そうなると、より厳しい選択を迫られます。
 先般のイギリスのトラス前首相の財政政策に起因する金融市場の混乱を見れば、政府も民間企業も、そうしたことがあることは想定しておく必要はあるでしょう。

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「経営者保証を不要とするために」

 経営者保証とは主として中小企業において、経営者個人(多くの場合は社長)が自ら経営する会社の借入金の返済を保証するものです。以下に述べるような問題意識から、金融庁は経営者保証の改善を目指しており、10月4日、その状況を発表しました。それによれば、2021年10月から2022年3月において、経営者保証の地域銀行の新規融資に占める依存度は64%(地域銀行99行の平均)になっており、前年同期と比べた減少幅はわずか2%に留まっています(2022年10月4日付け日本経済新聞)。
 経営者保証の存在は、万一の場合、経営者の個人資産までなくなってしまうのですから、個人生活を脅かします。それは同時に、企業家のリスク挑戦意欲の減退を招き、経済活性化の妨げにもなります。今回の発表を見ると、多くの金融関係者が問題を指摘し、監督官庁も是正を要求している割にはさほど改善されていないことが分かります。そこで、今回は経営者保証の今後の方向性について考えてみます
 まず、保証を取る銀行側の事情から見てみましょう。

人を見るか事業を見るか
 体制が確立されている大企業は別として、組織が未熟な中小企業への融資に際し、銀行融資の審査ポイントとして重視すべきは、人(経営者)なのか事業なのか、ということは古くから大きなテーマでした。人の重要性を強調する論者は、経営者の信用は事業成功の大きな要因であること、そして、もし万一事業に失敗しても、信用できる経営者であれば、借入金の返済についても誠実な対応が期待できる、といったことを主張します。一方、事業の方が重要だという人は、融資の返済は直接的には融資対象である事業から行うのだから、経営者の人格など関係なく、事業の状況や将来性だけに焦点を絞るべきだとします。
 日本の銀行では昔から、「人を見て融資をしろ」というようなことがよく言われました。最終的には人(経営者)の信頼性が重要だということになれば、事業の現況や収益予想を気にかけるより、経営者の健康状態、精神状態、あるいは家族の状況などが重要になります。その延長線上に、「最終的には私財を投じても返済してもらう」という経営者保証が存在し、広く普及したと考えられます。

トコトン回収するか、早く処理して転進するか
 経営者保証の有無は、銀行における融資金の回収業務という点から見れば、次のようにいうことができます。
 経営者保証がある場合は、事業を行う会社が破綻しても、回収業務は終わりではなく、次に経営者個人からの回収に向かいます。銀行にとっては会社以外の補完的な回収手段があるわけですから、好ましいように思えるかもしれません。しかし、格別の悪意のない普通の経営者であれば、経営する会社が破綻するほどに追い込まれれば、個人財産がそれほど多額にあるわけではなく、経営者個人からの回収は労力も時間もかかる割に、実りはそれほど期待できません。また、最終的には個人生活まで踏み込むこともありますから、銀行員として気が進む仕事でもありません。
 一方、経営者保証がなければ、会社が破綻し、残余財産で回収できなければ、その時点で貸倒損失を計上すると同時に融資金額を帳簿から落とし、その案件はそれで終了となります。その結果、銀行員は心機一転新しい仕事に向かうことができます。
 経営者保証を付けて、わずかの可能性がある限り、トコトン回収努力を続けるというのは、一見、銀行の本来の姿のように見えます。しかし、現代のように変化の激しい時代には、限りある人的資源を後ろ向きの仕事にいつまでも貼り付けることが、いいことなのかは疑問です。そうした仕事には早々に見切りを付けて、新規の融資開拓に向かう方がはるかに生産的だと、私は思います。

事業に真摯に向き合う
 経営者保証は経済成長期の資金需要が旺盛であった、貸し手優位の時の前時代の遺物のようなものです。今はカネ余りで、借り手優位に変わっています。銀行はいつまでも昔の流儀にこだわり、担保や保証は多いほどいいという発想は捨て去るべきでしょう。融資金の返済財源は事業が生み出すキャッシュフローだけだと割り切った方が時流に即していると思います。
 ただ、そこに踏み出すためには、銀行は会社が行う事業にもっと真剣に向き合わなければなりません。返済財源は事業からしか出てこないのですから、融資期間中の事業の損益やキャッシュフローの状況を常時フォローし、場合によっては事業好転のためのアドバイスも必要になります。そのためには、取引先に一層踏み込むと同時に、業界知識の取得も不可欠になります。
 経営者保証を原則不要とする融資を普遍化することは、沈滞が続く日本の経済の活性化に寄与すると考えます。

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「株式評価方法の違いを利用したソフトバンクグループの財務戦略」

 ソフトバンクグループが苦境に陥っています。2022年4~6月期の連結決算の最終損益は3兆1627億円の赤字と、4~6月期の日本企業の赤字額としては過去最大という不名誉な記録を打ち立てました。その赤字対策として、虎の子の中国のIT企業アリババ集団株式の一部を売却することを決め、その結果、アリババ集団はソフトバンクグループの関連会社(持分法適用会社)から外れ、2022年7~9月期に再評価益など4.6兆円を計上することとなりました(以上、2022年8月11日付け日本経済新聞による)。
 この記事のポイントはソフトバンクグループが所有していたアリババ集団株式の一部を売却することにより、アリババ集団はソフトバンクグループの関連会社ではなくなり、売らずに残った部分の株式の評価方法が変わり、評価益を計上するところにあります。

持分法と市場価格
 ある会社が上場している会社の株式を取得すると(子会社には該当しないものとします)、連結財務諸表を作成する際に、取得した株式の評価をしなければなりませんが、評価方法には主として2つの方法が考えられます。一つはその会社の事業実績を連結財務諸表に取り込む方法です(これを持分法といいます)。もう一つは、市場で付いている株価をそのまま所有している株式の評価方法とする方法です。会計では、関連会社は持分法により、それ以外の会社(以下では、一般会社と呼びます)は市場価格により評価することになっています。
 関連会社株式と一般株式を区別する本質的考え方の違いは、親会社がその会社の事業に関与し、一定の責任を保有するかどうかにあります。事業に関連性があり、両社の経営陣に関与の共通認識があれば、親会社はその会社の株式を安易に売却せず、ある程度長期に保有し、ロングスパンで関連会社を成長させようとします。逆に事業に関連性がなく、単に投資目的での保有だとすれば、親会社は外部者として所有する株式を自分の会社の状況やその株式の市場価格を見ながら自社に最も好都合な時期に売却していくことになります。
 グループ会社として事業に関与するとすれば、市場価格ではなく、関連会社の事業成績に応じた金額を連結財務諸表に取り込むことが合理的です。一方、グループ外の会社として事業に関与しないのであれば、一般株式として自社に最も有利なときに売却するのですから、時価である市場価格で評価するのが妥当となります。
 本質的な考え方は上記の通りですが、会計では関連会社であるかどうかは主として外形基準で判断します。厳密な定義はやや煩雑ですが、ベースの判断基準は親会社の株式所有比率によります。大雑把に言えば、親会社の株式所有比率が20%を超えれば関連会社となり(さらに所有比率が増大し、50%を超えると子会社となる)、15%~20%はグレーゾーンで、15%未満だと一般会社となります。

関連会社から一般会社に
 上記を踏まえ、冒頭のソフトバンクグループのアリババ集団株式の売却を振り返ってみます。売却前、ソフトバンクグループはアリババ集団の株式を23.7%所有していましたから、アリババ集団は関連会社でした。ですから、ソフトバンクグループの連結決算ではアリババ集団株式を持分法で評価し、アリババ集団の事業成績を取り込んでいました。ところが、今回の巨額の赤字発生を受け、ソフトバンクグループはアリババ集団の株式9.1%を売却し、株式の所有比率は14.6%に下がり、関連会社から外れ一般会社になりました。その結果、株式の評価方法は持分法から市場価格に変わりました。それまで、ソフトバンクグループが所有するアリババ集団の株式の簿価はアリババ集団の財務諸表の自己資本をベースに計算したものでしたから、それを市場で売却すれば、売却分9.1%について市場価格と簿価との差額が売却益として計上されることに加え、残存する14.6%分についても、株式の評価方法が持分法から市場価格に変わることにより、評価益が計上されることになったのです。
 その評価益のボリュームを測る指標としてPBR(株価純資産倍率)が利用できます。

PBRが高いアリババ集団株式
 PBRは株価を1株当たり自己資本で割ったものです。1株当たり自己資本は上記の持分法に近似すると考えることができますので、PBRが大きいほど、市場価格と持分法による価格との乖離幅が大きく、評価益のボリュームが大きくなります。9月10日時点でのニューヨーク証券取引所の株価で計算すると、アリババ集団株式のPBRは12.9倍となっています。帳簿上の自己資本に比べて、はるかに高い株価が形成されているので、ソフトバンクグループは今回の処理により大きな評価益を計上できたことが分かります。
 これまでソフトバンクグループはアリババ集団を関連会社として抱え、その株式を持分法で評価することで、巨額の含み益を保有し、決算の状況を見ながら株式売却を行い、売却益を計上することができました。いわば、アリババ集団株式は利益を捻出する都合のいい財布の役割を担っていたといえます。しかし、ここで財布の中身をさらし、評価益を一気に計上したことにより、これからはアリババ集団株式の市場価格がストレートにソフトバンクグループの連結決算を形成することになります。
 今後、ソフトバンクグループは、事業会社というより投資会社としての側面を一層強くして、その業績はこれまでにも増して株式市場の動向に翻弄されることになりそうです。

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「統合政府論の危険性」

 最近、「統合政府」という言葉をよく目にするようになりました。統合政府とは政府と中央銀行(日本では、日銀)を一体化したものを言い、国の財政状態は統合政府として考えるべきだと主張します。日本は国債を主体とする政府債務が膨大にあり、その財政状態は危機的だとする財政規律派に対する反論として、提示されている論理です。

債権・債務は相殺される
 統合政府の考え方に立てば、日銀は政府の実質子会社であり、政府発行の国債を日銀が保有しているということは、子会社が親会社の債務を負っているに過ぎないことになります。そこで、政府と日銀を統合した連結財務諸表を作れば、親子会社の債権・債務が相殺されてしまいます。すると、日銀は国債の50%以上を所有しているのですから、政府債務は激減し、その結果日本の財政は危機的ではなくなり、逆に財政余力が生じ、今後とも国債発行は十分に可能だと、議論は財政拡大に発展していきます。
 統合政府論を是とすれば、日銀は通貨発行権を持つのですから、通貨発行により日銀はいくらでも国債を購入することができてしまいます。そして、統合政府の連結財務諸表を作れば、債権・債務が相殺され、政府債務がなくなってしまうというのです。このまるで魔法のような方法により、日本は財政破綻を心配することなく、これからも国債を増発できることになります。本当にそのように考えてもいいのでしょうか。

日銀は政府の子会社なのか
 安倍元総理が「日銀は政府の子会社だから、日銀が保有している国債は、返済する必要がなく、日本の財政に心配はいらない」と発言し、大きな話題になりました。これも統合政府論の立場からの発言です。日銀が政府の子会社かどうかについては、鈴木財務相が「政府は日銀に55%出資しているが、議決権はなく、日銀は日銀法により自主的に運営されており、会社法に規定する子会社ではない」との見解が示されています。ただ、ここではそうした法的見解とは別に会社法上の子会社に引きつけて、政府と日銀の関係を考えてみます。
 会社法上の親子会社を連結財務諸表において一体で評価できるのは、親子会社が目指す目的が一致しているからです。その目的は一般的には、親会社の株主価値の最大化だとされます。連結を構成するグループ企業は親会社の株主価値最大化のために、親会社指揮の下、一体として事業運営を行っているのですから、連結で評価されて当然です。
 しかし、政府と日銀は元々目指すものが異なります。政府は国民の生活水準向上のために、福祉、公共投資、教育、防衛など様々な歳出を行います。一方、日銀の最大の目的は国民が生活する上で欠かせない通貨の価値の安定です。
 政府は歳出の財源として税金を徴収しますが、税収で不足する財源を主として国債発行で補填します。政府の立場からは、歳出の財源となる国債発行が安価かつ円滑に行われることを望みます。それには日銀が通貨を発行して、国債を購入してくれることが好都合になります。一方、日銀とすれば、政府の要望通り国債を購入し、経済実態以上に通貨を過剰に膨張させすぎると、通貨価値の安定を損なってしまいます。

デフレ局面からインフレ局面へ
 統合政府論が有効に成立するには、少なくとも政府と日銀が同じ方角を向いていなければなりません。政府と日銀の目指す方向性は状況により、近くなったり遠くなったりします。これまでは、政府と日銀の方向性は大体同じだったということができましたが、これからはそう簡単ではありません。
 デフレとは通貨価値が強すぎる経済状態ですから、デフレを克服するためには、ある程度通貨価値を弱める(通貨を増加させる)政策が必要となります。当然のことながら、政府はいつの世でも財政を拡張させたいですから、「デフレからの脱却」という局面においては、政府と日銀はある程度目的を一致させることができました。この段階なら、統合政府論も一定の説得力を持ちます。
 しかし、インフレが懸念される状況になると、事情が変わります。インフレが激しくなると通貨価値を毀損し、国民生活を混乱に陥れます。インフレが懸念される状況下でも、統合政府論に基づき、日銀が政府と一体となり、通貨を膨張させる方向に向かうのは危険です。日銀は通貨価値の安定を図るために、膨張する政府の財政を監視する役割を持つことが期待されるはずです。私は徐々にそういう局面に近づいているのではないかと思います。
 中央銀行の通称は「通貨の番人」です。この言葉は中央銀行(日銀)の本来の役割が通貨価値の安定であることを雄弁に物語っています。統合政府論の最大の欠陥は日銀にその本来の役割を忘却させる危険性があることにあります。

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「国民感情と乖離するインフレ目標」

 先般、日銀の黒田総裁が、昨今の物価上昇に関連し、「家計の値上げ許容度が高まっている」と発言して、強烈な批判を浴び、発言の撤回に追い込まれました。後述するように日銀には日銀なりの論理があってのことなのですが、この発言は日々の生活維持に必死の一般庶民の感情を逆なでするものだったことは間違いありません。
 物価は国民生活に最も身近な経済指標です。各国の中央銀行は「物価の番人」とも呼ばれ、一般の国民感情に寄り添うことが求められているのに、インフレ目標設定以来の日銀はややその辺の配慮に欠けるところがあるように思われます。経済政策は国民生活のために存在しているのですから、政策当局が国民感情と離れてしまっていては、政策目的の遂行は難しくなります。
 今回は、インフレ目標が国民感情とどのように乖離しているか考えてみたいと思います。

家計にインフレ期待醸成
 黒田総裁就任以来、日銀は我が国の経済低迷の元凶はデフレだとして、「異次元」と称する強烈な金融緩和を実施してきました。「金融緩和をすれば必ず物価は上昇する」と考えるリフレ政策を信奉する日銀執行部は、前例にない緩和策を実施し、マネーを増やし、物価上昇を目指してきました。にも関わらず、成果が上がりません。そこで、リフレ派の人々は、物価上昇が起きない理由をマネー以外の他の要因に求めました。その重要なターゲットになったのが家計でした。
 日本では、家計がインフレに対して異常に抵抗するから物価が上がらない、というのが彼らの新たな主張です。だから、インフレ目標達成のためには、家計に意識変革を迫り、インフレマインドを醸成することが必要だと言っていたのです。そうした観点からすれば、黒田総裁の「家計の値上げ許容度が高まっている」という発言に不思議はありません。日銀とすれば、値上げ許容度が高まっているというのは、ある意味、現在進める金融政策の成果だと誇りたかったのだと思います。しかし、それは明らかに、物価高を望まない庶民感情とずれており、思わぬ反発を招いたのです。

国民への説得が必要
 日銀は2%のインフレ目標を設定しました。インフレになれば賃金が上がり、経済が好循環に入るというのが、日銀の論理です。しかし、インフレになれば必ず賃金が上昇するという保証はありませんし、今回の物価上昇でも賃金の上昇は見られません。リフレ派は今回の物価上昇はデマンドプル型ではなくコストプッシュ型だからと弁解しますが、そんな小難しい言い訳で国民が納得できるわけがありません。また、たとえリフレ派が主張する通り、賃金が上昇するとしても、物価の上昇が先にあるのですから、賃金が上昇するまでの間、国民には物価の先行上昇に耐えてもらわなければなりません。
 日銀がインフレ目標を本気で達成しようとするなら、それこそ総力を挙げて、国民に「賃金が上がるまでの間、物価上昇に我慢してくれ」とお願いしなければならないはずです。しかるに、今回の一連の経緯を見れば、日銀にそこまでの覚悟はないように見えます。

日銀が重視するのはコアコア指数
 もう一つ、物価上昇に関して、日銀と国民感情が離れていると感じるのは物価指数の一つである「コアコアインフレ(CPI)」の重視です。
 発表される消費者物価指数(CPI)には次の3種類があります。すべての物価を包含する「総合CPI」、生鮮食品を除く「コアCPI」、そして、生鮮食品とエネルギーを除く「コアコアCPI」です。生鮮食品とかエネルギーは気候や国際情勢に大きく左右されるので、日銀はそれらを除くコアコアCPIを重視するといっています。
 6月24日に発表された5月のCPIは総合が2.5%、コアが2.1%、そしてコアコアが0.8%の上昇でした。日銀とすれば、重視するコアコアの数字が2%に届かず、まだ低いので、さらにインフレを助長すべく金融緩和を続けると言っています。しかし、庶民とすれば、毎日消費する食品とエネルギーこそが物価の中核です。それを外した指標が低いから、まだまだ物価が上がるべきだという日銀の主張は庶民離れしていると言わざるを得ません。

インフレ目標に固執しない方がいい
 一般庶民はいつの時代も低い物価を望んでいます。その物価の上昇を目指すインフレ目標を国民に納得してもらうことは容易ではありません。物価が上昇すれば、どういう経路で我々の生活が豊かになるか、筋道を立てて根気強く説明することが求められますが、その覚悟と気概が日銀に失われてしまったように見えてなりません。
 リフレ派が主導するインフレ目標(デマンドプル型)には、当初からその論理的な妥当性に疑問を呈する意見は根強くあり、現に目標設定から10年経とうとしているにもかかわらず、達成のメドは立っていません。そして、今回、インフレ目標が国民感情からも乖離することの問題が露呈してしまいました。実現可能性の困難さに加え国民に対する訴求力のなさを考えると、日銀はいつまでもインフレ目標に固執せず、そろそろ旗を下ろした方がいいのではないかと思います。

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「輸出型企業の業績を引き上げる円安効果の違い」~国民は円安の恩恵を受けにくくなった~

 報道によれば、円安効果もあり、上場企業の業績は悪くないようです。しかし、その割には、我々国民の所得が増加しているようには思えず、国民レベルの不況感は一向に拭えません。日銀をはじめとした政策当局は、円安は企業業績に好影響を与えることで、国民にとっても好ましいものになるはずだと言っています。
 円安が輸出型企業の業績に貢献することは間違いありませんが、その貢献の仕方が以前とは様相を異にしていることに留意しなければなりません。そのことが現在の停滞感につながっていると思います。

円の実額が増加するか、換算額が増加するか
 昔の大規模製造業は日本で製造した製品を海外に輸出して、その代わり金を獲得する形で成長してきました。ですから、円安に振れ1ドル100円が130円になると、海外で同じ1ドルで販売しても、円での受け取り額は30円増えることになりますから、国内での円貨の手取りキャッシュが増加します。それは当然、日本の親会社単体の業績を名実ともに引き上げます。
 しかし、この形態だと、賃金の安い労働力で作ったものを海外に輸出することになり、輸入国側の当該産業の雇用機会を奪うことにつながり、「失業の輸出」だとの批判が強まってきました。そこで、製品力に自信があり資本力も豊富な大企業は、徐々に現地子会社を設立し、海外の現地生産に切り替える動きが加速しました。現地子会社の生産では主として、現地の労働力を雇い、現地で資材を購入、販売するのですから、製品輸出に比べて、モノやキャッシュが日本を経由する度合いは大幅に減少します。それでも円安はこの企業の業績を引き上げます。というのは現地生産の売上げや利益は連結子会社として円換算し親会社の連結業績に組み込まれるからです。円換算すれば、円安になるほど、海外子会社の売上や利益金額が多くなりますから、連結業績は向上します。
 第一のパターン(製品輸出)も第二のパターン(現地子会社生産)も円安になるほど、連結決算上の企業業績は向上しますが、中身は異なります。第一のパターンは親会社単体の手取り円貨額が増えるのですが、第二のパターンは日本の親会社の円貨額が増えるのではなく、連結決算において現地子会社の円換算額が増えるに過ぎません。

賃金は上がらず、役員報酬と配当は増える
 第一のパターンと第二のパターンの違いが、国内経済にどのような影響を与えるか考えてみます。第一のパターンの業績向上に貢献したのは日本国内の労働者であり、親会社の手取り円価額が増加し財源も確保できますから、国内労働者の賃金増加につながります。一方、第二のパターンの業績向上は海外子会社によるもので、親会社の手取り円価額は増加しません。業績貢献に寄与したのは海外の労働者ですから、国内労働者の賃上げには直結しません。現在の輸出型企業の業績向上は第二のパターンが多くなっていますから、国内の一般労働者の所得向上には結びつきにくくなります。
 一方、株主と経営者は労働者とは立場を異にします。株主と経営者はほとんどの場合、連結業績で評価され、第二のパターンの業績アップでも利得を享受できるからです。株主は、近年株主還元が強く主張されますから、連結業績がよければ、増配の可能性が高まります。また、経営者も海外子会社を含めた連結業績が向上すれば、グローバルな経営手腕が評価され、報酬が高くなることが期待されます。さらに、連結業績が株価の上昇に結びつけば、株主は直接的に株式評価額が上昇しますし、経営陣もストックオプション等の株式連動型報酬であれば、その恩恵を受けることにできます。

円安の恩恵を受けにくい
 つまり、第一のパターンの業績向上は一般国民の所得向上につながりやすいのに対し、第二のパターンは、所得向上が一般国民ではなく、株主や経営者などの富裕層に集中しやすくなっているといえます。近年、円安の恩恵が国民全体に広がらない要因の一つは、こうしたことにもよるのではないかと思います。
 一方、一般の消費者の立場からは、円安になると輸入物価の上昇を招きますから、消費生活は圧迫されます。そうしたことを考え合わせると、一般国民の生活目線からは、以前に比べ円安の恩恵は受けにくくなっているのではないかと思います。

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「国内貯蓄は低金利を支え続けられるか」~為替リスクとインフレリスク~

 近時、円安が急速に進展し、20年ぶりに1ドル130円を超え、大きな話題となっています。世界的にインフレ傾向にあることから、アメリカはじめ諸外国は金融緩和から金融引き締めに転じつつありますが、日本ではインフレ率が欧米ほどではないことや不景気感がまだ根強いことから、日銀は依然として低金利の金融緩和政策の維持を続ける姿勢です。他の条件に変動がなければ、通貨の需要は金利の高い方に集まりますから、さらに円安に進むことが危惧されています。
 物事には浮き沈みがあり、環境次第で円安になることがあればまた円高に戻ることもある、というような循環過程の一局面だと割り切れれば、日銀の姿勢も理解できます。ただ、この円安は金融緩和と財政拡大を主軸とするアベノミクス開始当初から懸念されていたことであり、本格的な「日本売り」の序章だとすれば、楽観は禁物です。

強固な円預金が金融緩和を支える
 金利も最終的にはマネーの需給バランスで決まります。つまり、日銀が低金利政策を維持できるのは、マネーの供給源として安定した国民の円預金がバックに存在するからです。日銀が発表する資金循環統計によれば、2021年末時点の家計の現預金1091兆円のうち、外貨預金はわずか7兆円、たった0.6%に過ぎません。どんなに金利が低くても強固に円預金をし続ける辛抱強い国民がいるから、日銀は金融緩和姿勢を保ち続けられるのです。
 しかし、産業の競争力が減退し日本経済の将来不安が高まるようになれば、今後の展開次第では、こんな低金利では円預金を継続できないと、国民が判断するような時期が来るかもしれません。「預金が海外に逃げる」いわゆるキャピタルフライトです。そうなると、日銀の低金利政策の維持も困難になります。果たして、日本人の円預金選好はこのまま続くのでしょうか。

円預金はリスクなしか
 国民は「日本経済を破綻から救うため」というような高尚な愛国心から、損を覚悟で円預金を続けているわけではありません。日本人が低金利にもかかわらず円預金を過度に選択する理由として、次のようなことがよく言われます。「日本人は保守的だからリスクを取るのを嫌い、高金利の外貨預金ではなく、低金利でも円を選択するのだ」と。
 確かに、円預金には外貨預金にあるような為替リスクは存在しません。日本で終生暮らし、消費も円で行う日本人にとって、円預金にリスクはない、というのも一理あるような気がします。しかし、消費の最終目的を見据えてリスクを考えると、円預金には為替リスクとは違うリスクが存在します。

インフレリスクの顕在化
 消費はマネーとモノとの交換ですから、最終的に問われるのはモノの価格との相関です。円で測ったモノの価格、すなわち物価が重要です。日本は長い間、物価が低下するデフレ傾向が続いていましたから、円預金はモノの価格との相関関係では決して損にはなりませんでした。ところが、これから世界的な物価上昇に巻き込まれ、日本もインフレ傾向になると話は違ってきます。モノの価格は上がるのですから、ゼロ金利の預金は相対的に目減りしていきます。つまり、円預金でもインフレリスクは存在するのです。
 これまで円預金においてインフレリスクを意識せずに済んだのは、単にデフレ傾向にあったからに過ぎません。インフレに転じればインフレリスクを意識せざるを得なくなります。インフレリスクが高まれば、モノや株式等の投資商品を買うことの他、高金利の外貨預金への振り替えという選択肢も浮上します。

低金利政策が維持できるか
 手数料は下がり、システムは改善し、外貨預金は以前よりずっと取り組みやすくなっています。インフレリスクが顕在化してもなお、日本人は為替リスクを嫌い、ほとんど金利が付かない円預金を継続するのか。あるいは、どうせインフレリスクがあるなら、この際、為替リスクを取り、高金利の外貨預金を選択しようとするのか。現在は1%に満たない外貨預金比率ですが、それが10%になるだけで状況はかなり違ってきます。そうなると、巨額の財政赤字のファイナンスが国内預金だけでは難しくなり、低金利政策の維持も難しくなります。
 現在の我が国の経済は低金利政策によって支えられています。低金利政策が維持できなくなると、財政収支を筆頭に日銀の収支や個人の住宅ローン、借入過多の企業の存続にも大きな影響を与えます。その意味で、私は、国民の円預金の動向が今後の日本経済の大きなカギになるのではないかと考えています。

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