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「銀行が取るリスクとリターン」

 2021年4~12月の上場銀行の業績は増益決算となったようです。しかし、この好決算は21年3月までに受け付けた、信用保証協会が保証することによる貸倒リスクがゼロで、さらに都道府県が利子補給することによる実質金利がゼロになる、いわゆる「ゼロゼロ融資」の急増と、そのゼロゼロ融資を中心としたコロナ緊急融資対応で倒産が減少したことに伴う貸倒引当金の縮小によるものと受け取られています。日本経済新聞は「地銀、かりそめの好決算」という見出しで報じており(22年2月15日)、好決算は一時的要因によるもので、経営の本質的な厳しさは変わらないというトーンで報じています。
 銀行の苦境は本業である貸出の収益低迷が主因です。銀行も投資信託販売等に係る手数料収入や有価証券運用等の貸出以外の収益拡大に努力してきているのですが、期待通りの結果をもたらしているとはいえず、収益基盤は依然貸出に依存しています。貸出の収益低下はいうまでもなく、カネ余りに伴う金利低下で利ザヤが縮小したことによるのですが、その利ザヤ縮小を銀行が取るリスクとリターンの視点から検証してみたいと思います。

 ビジネス上のほとんどの収益(リターン)はリスクを取る対価として発生します。銀行の本業である貸出収益のリスクは最終的には貸倒リスクという言葉に帰着するのですが、その貸倒リスクは、大きくクレジットリスクと期間リスクとに分解することができます。

クレジットリスク
 クレジットリスクとは貸出先の個別の信用状態に起因する貸し倒れに対するリスクです。100%安全な貸出先というのはありません。どんな貸出先にも、大なり小なり破綻するリスクが存在します。その対価として金利を受け取ります。したがって、信用度が高い貸出先の融資は金利が低く、信用度が低いと金利は高くなります。
 信用度に応じて金利が変わるということは、銀行が資金を調達する場合にもあてはまります。現在、銀行が預金者から預かる金利には大きな差はありませんが、銀行が市場から資金を調達する場合は、信用度が高い銀行ほど低い金利で資金を集められます。
 もし、銀行が預金ではなく、すべて市場から資金を調達して、その資金を原資に貸出を行うとしましょう。市場では銀行も一般企業も同様に信用による格付けが行われ、金利は段階的に差がついています。そのため、銀行が貸出により利ザヤを確保するためには、自らが市場で調達した金利より、高い金利を付けることができる信用力が劣る企業に貸出を行わなければなりません。つまり、銀行が自分より使用力の高い企業、例えばトヨタ、あるいは国にカネを貸しても逆ザヤになるだけで、儲かるわけはないのです。
 だから、銀行は自分より信用度の低い企業に貸出を行い、収益を獲得してきたのですが、カネ余りの中でどこの銀行も事情は同じですから、そうした信用度の低い企業に対する貸出が増加しました。そうすると、競争原理から信用リスクの高い企業に対する貸出の金利が下がってきます。世界的低金利の中、優良企業に対する貸出金利はほとんどゼロに近づき、下げ余地がなくなっていますから、かつて存在したクレジットリスクに応じた金利差が徹底的に圧縮され、銀行のリターンも減少しているのです。

期間リスク
 ただ、優良企業に対する貸出でも収益を上げることができる場合があります。それは期間リスクを取ることです。貸出期間が長いほど、貸倒リスクは高まりますから、金利は高くなります。銀行預金は1年以内の短期が大部分なので、10年とかの長期貸出を行えば、利ザヤが獲得できるはずです。ですから、かつては期間10年の国債を購入すれば、国の信用度は当該国内で最高級に位置づけられるので、クレジットリスクのリターンは望めなくても、期間リスクに応じたリターンは取れたのです。ところが、長期貸出金利の指標となるこの長期国債の金利は、民間の購入に加え、異次元の金融緩和に伴う日銀の購入による強烈なインパクトで、ほとんどゼロに張り付いてしまっている状況です。その結果、期間リスクに応じたリターンも消滅してしまいました。

カネ余りが収益機会をつぶす
 このように、カネ余りと異次元の金融緩和政策が銀行の収益機会をことごとくつぶしてきており、現状の金利体系はリスクに応じたリターンとは言えない状況です。経済的に平穏な状態が続けばいいのですが、ひとたび企業の破綻懸念が顕在化すれば、たちどころに銀行経営は苦しくなることが予想されます。だから、増益でも「かりそめ」という見出しが付けられるのであり、これからの将来に明るい展望が開けているように見えません。銀行はこれからのビジネスモデルをどう描くのかが問われています。

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「好循環のインフレに転換できるか」~会計的な視点から~

 我が国は、長い間デフレあるいはディスインフレ(低い物価上昇率)に苦しんできました。そこで、黒田氏の総裁就任以来、日銀はインフレを起こそうと努力してきたわけですが、功を奏しませんでした。ところが、今年はいよいよその待望のインフレが到来するかもしれません。ただし、これから到来するかもしれないインフレは、日銀が想定していたものと異なるものになりそうです。
 本稿では、これから到来が予想される「悪いインフレ」が、日銀が期待する「良いインフレ」に転化できるかどうかを考えてみたいと思います。

デマンドプル型とコストプッシュ型
 まず、日銀が期待するインフレと、今回到来するだろうと予想されるインフレとの違いを整理しておきます。
 インフレはその発生の違いにより、以下の2種類に大別されます。強い需要が物価を引き上げる「デマンドプル型」と、供給側の商品の原材料価格上昇が物価を押し上げる「コストプッシュ型」です。
 デマンドプル型は需要が需要を呼ぶ形でインフレを起こします。その結果、経済が拡大し、更なる物価上昇を呼ぶという、経済の好循環を引き起こします。
 一方、コストプッシュ型は原材料価格上昇が物価を押し上げます。原材料等の仕入価格が上昇すると、企業の利益を圧迫します。利益確保のため、まずは経費削減に努力しますが、それも限界となり、やむをえず商品価格を引き上げます。コストプッシュ型インフレでは経済の好循環は期待できません。
 デマンドプル型は経済の成長過程で生じる「良いインフレ」ですが、コストプッシュ型は国民生活が一層苦しくなる「悪いインフレ」となります。
 日銀はマネー流通量を飛躍的に増加させることでマネーの相対的価値を減少させ、モノの需要を活性化させることにより、デマンドプル型インフレを惹起させようとしてきました。しかし、これから起こるだろうと予想されるインフレはコストプッシュ型です。アメリカをはじめ欧米では既にインフレ傾向が顕著であり、その波が日本にも押し寄せそうな勢いなのです。原油を筆頭に、鉄、木材などの資材価格は上昇傾向にあり、さらに円安は輸入原材料価格の上昇に拍車をかけます。その結果、企業間取引における財の価格である企業物価は昨年の12月時点で既に8.5%上昇しています。企業も我慢の限界にきており、今年に入って食品をはじめとして、末端価格を値上げする企業が相次いでいます。
 これで消費者物価が上昇すれば、明らかに悪いインフレとなりますが、当初は悪いインフレでも、それを良いインフレに転化できればいいのではないかという議論も見受けられます。良いインフレと悪いインフレを分かつポイントは、物価の上昇に伴い賃金が増加するかどうかです。その点を会計的視点から見ていきましょう。

先行するのは売上高か経費か
 損益計算書的発想からすると、インフレの起点が重要です。デマンドプル型は先に需要が拡大しますから、まず売上高が起点となります。損益計算書のトップラインである売上高が増えれば、費用である賃金を増やしても利益の増加が期待できます。ですから、デマンドプル型は「需要拡大→賃金増加→需要拡大→」の好循環が起こるのです。
 一方、コストプッシュ型インフレでは売上高は変わらずに、原価や費用の増加が起点となりますから、利益を圧迫します。企業は利益を確保するために、まずその他の経費の削減を図ります。つまり経費の一項目である賃金には引き下げ圧力がかかります。それでも利益確保が難しいから、原価増大分を売上価格に転嫁しようとします。しかし、コロナ禍で現在の消費者需要は低迷し、将来を見通しても人口減から需要拡大は見込み薄であり、価格を引き上げると、数量減を招き、かえって売上高が減少してしまうかもしれません。したがって、単価引き上げは消費者の需要状況と競合他社の動向を見極めながら慎重に行わなければなりません。どんなに頑張っても、原価増加補填程度が精一杯であり、賃金増加分まではカバーできそうにありません(そこまで引き上げれば、今度は便乗値上げの批判を受けるでしょう)。
 つまり、コストプッシュ型インフレにおいて賃金を増加させ、そこから経済の好循環につなげることは容易ではなく、悪いインフレを良いインフレに転化させることはかなり難しいと予想されます。もしこの状況でインフレが到来すれば、不況下のインフレ、つまりスタグフレーションとなる可能性が高いと思われます。

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「MMTに対する懸念」 ~甘い誘惑の落とし穴~

 巨額の赤字を抱える日本の財政が、果たして持続可能なのかどうかは長く論争の的でしたし、今後も大きなテーマであり続けます。先般も、現役の財務省事務次官が一般誌に、「このままでは、国家財政は破綻する」という趣旨の論文を寄稿し、話題となりました。一方、そうした従来型の経済学に基づく財政破綻懸念論に対し、強烈な反論がなされています。それがMMT(Modern Monetary Theory,現代貨幣理論)です。

MMTの主張
 MMTの主張を簡単に要約すると、次のようになります。
 「通貨発行権を持つ国家は債務返済に充てる貨幣を自在に創出できるために、デフォルト(債務不履行)に陥ることなく、政府債務残高を増やせる。政府債務拡大に伴う国民経済に対する懸念は唯一インフレである。だから、インフレの兆候がない限り、財政支出拡大をためらうべきではない。」
 我が国は言うまでもなく通貨発行権を有する独立国家であり、また、現在インフレの兆候はないのですから、MMTに立脚すれば、まだまだ財政赤字は拡大できる、ということになります。
 伝統的な経済学に基づく財政再建を行うと、国民負担が避けられません。一方、MMTが有効であれば、日本の財政状態に問題はなく、財政再建は不要ですから、国民に負担をかけずに済みます。そうであれば、現在の国民だけでなく将来世代もハッピーでありMMTに賭けてみたい誘惑に駆られますが、果たしてMMTは信頼に足る理論なのでしょうか。
 私は、MMTに依拠して財政拡大を続け、政府債務残高を増加させ続けることは、以下の理由から危険だと考えています。

ワイズスペンディングの障害
 ワイズスペンディングとは文字通りに訳すと「賢い支出」ということになります。財政支出を行うときは、効果のより高いものを選択することが求められます。それは当然のことですが、ワイズスペンディングを行うためには、財源に限度があることが前提になります。財源に限りがあるから、財政効果の測定と順位付けが重要となるのです。MMTのようにインフレになるまで大丈夫だといった漠然とした考えの下では、ワイズスペンディングの必要性はなくなり、無駄な財政支出を加速する危険性があります。したがって、財政規律が働かず、財政赤字拡大の勢いが増します。

インフレを止められるか
 MMTに基づき、財政運営をしていけば、財政は拡大し続けます。そうすれば、どこかでインフレの兆候が出てくるでしょう。さて、そのときに急に財政拡大から引き締めに転じ、インフレを制御できるかが問われます。
財政引き締めのためには財政支出削減か増税が必要になりますが、財政拡大で恩恵を受けた既得権益層は財政支出削減に激しく抵抗しますし、増税は選挙で嫌われます。日本のこれまでの実績を見れば、緊縮財政や増税の政治的決断がたやすくできるとは思えません。たとえ、できたとしても、相当な時間がかかるのは必至です。つまり、インフレの兆候が発生した時点で緊縮財政に転換することは極めて困難ですし、あるいはたとえできたとしてもかなり時間がかかりますから、手遅れになり、悪性インフレまで突っ走ってしまう危険性が高いのではないかと思います。
 さらにもっと懸念されるのは到来するインフレの性格の問題です。モノとマネーの相対的関係としてとらえることができる通常のインフレであれば、マネーの流通量を絞ることにより、インフレを抑えることができます。この場合は、インフレはなだらかに連続的に発生します。しかし、財政拡大が余りに過大になり、通貨が大幅に過剰になると、インフレは単なる通貨量過剰の問題から通貨そのものの信用状態の問題に転化します。その通貨がもはや信用できないという状態になってしまえば、財政支出を多少引き締めたところで、もはや「焼け石に水」といった状況になりかねません。

MMTと日本の現状は循環論法
MMTの正当性の実証的根拠を求められたあるMMT論者は「MMTの正当性は日本が実証している」と述べたそうです。日本はここ数十年世界の中で、政府債務残高増大のトップランナーを走り続けてきました。その昔は、政府債務残高のGDP対比が100%を超えれば、危ないと言われていた時代もありましたが、100%を超えても何も起こりませんでした。次に200%を超えるようなことがあれば、今度こそ危険だと言っていましたが、実際200%を超えても、びくともしません。そして、現在250%を超えています。この分なら政府債務がもっと大きくなっても大丈夫だろう。それは日本の実績が証明しているというのです。
そして、片や、日本の財政拡張論者は日本の財政拡大の理論的正当性をMMTに求めています。つまり、MMTと日本の財政の現状は双方が相手方に依拠する一種の循環論法に陥っているといえます。循環論法に頼っていればどこかで破綻します。

 MMTは現在の世代に痛みをもたらさないだけに頼ってみたい気もするのですが、それだけに危険です。もし、MMTが単なる課題の先送りに過ぎないとすれば、我々は将来世代に過大なツケを負わせることになってしまいます。

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「ストックとフローで考える国債・GDP比率」

 よく知られているように、決算書の数値にはストックのものとフローのものがあります。ストックの数値とフローの数値を見比べる財務指標は、その性格の違いに留意して評価しなければなりません。そして、それと同様なことは国家の計数である国債やGDP(国内総生産)についてもあてはまります。

借入金と売上高
ストックとは一定時点における残高であり、フローは一定期間における流れた数量の合計値です。決算書の貸借対照表はストックの数値であり、損益計算書はフローの数値です。決算日が3月末であれば、資産や借入金等の貸借対照表の数値は3月31日現在における残高ですし、売上高や利益などの損益計算書の数値は前年の4月1日から本年の3月31日まで発生した数値の累計になります。ですから、同じような数字が並んでいても、数値の性格が異なります。両者の重要な相違点は、ストックの数値は次期以降引き継がれるのに対し、フローの数値は毎年ゼロから積み上げなければならないという点にあります。
 企業目的が利益の極大化にあるとするなら、利益はフローですから、フローの売上高が必要になり、売上高拡大のためにストックである資産をどのように用意し、そのために借入金をどのように利用するかが、経営者の経営手腕だということになります。
 経営を評価する指標として借入金・売上高比率(借入金÷売上高)があります。これはストックである借入金とフローの売上高の比較であり、この数値は小さいほどよしとされます。たとえば、銀行から資金を借り入れて設備投資をして、売上高拡大を図ろうとする企業があったとします。すると、分子の借入金が増加しますから、借入金・売上高比率を悪化させないためには、分母である売上高が相応に増えなければなりません。ここで、借入金と売上高の性格の違いが重要になります。借入金はストックですから、その残高は返済分を除き次期以降に引き継がれますが、売上高はフローですから、毎期ゼロから積み上げなければなりません。つまり、借入金・売上高比率をある程度維持するためには、借入金による設備投資効果は1期だけでなくフローとして継続的に売上高拡大をもたらすものが必要になります。
 そんなことは企業経営では、誰でも知っている当然の理屈です。それは国家経営にもあてはまると思います。

国債とGDP
 国家では企業のように複式簿記を採用していないので、ストックとフローを明確に意識することは余りありませんが、この考え方を援用することができます。財政健全化指標として真っ先に挙がるのは国債・GDP比率(国債÷GDP)です。ここで、前述のストックとフローの概念を用いると、国債は政府の借金としてストックの数値となり、GDPは一定期間における付加価値の合計高ですから、フローの数値になります。
 今、盛んに議論されている国債を発行して、それを財源に給付金や助成金を支給するということをストックとフローの観点から整理すれば次のようになります。政府支出が産業構造改革や技術革新のような成長のための投資に充てられるなら、GDPに対する継続的効果が期待できますが、給付金や助成金などのバラマキ型の消費刺激目的のGDP拡大効果は単発的なものに終わります。給付金や助成金を支給すれば、個人の消費が増加してその年のGDPは増加しますが、GDPはフローですから、その効果は1回限りで、翌年からはまたゼロから積み上げなければなりません。来年、給付金や助成金がストップしてしまえば、その分GDPは減少するでしょう。ですから、GDPを維持するためには、再度給付金や助成金の支出が必要になります。一方、その財源となった国債はストックですから、償還しない限り、次年度以降に引き継がれます。つまり、消費刺激の財源を国債に頼るということは、フローのGDP拡大は単発で終わるのに対し、ストックの国債の残高は累積的に積み上がることにより、国債・GDP比率は悪化し続けることになります。我が国の財政悪化の深化はこうした歴史を如実に物語っています。
 言うまでもなく、本当に困っている人に給付金等を支給することは国家として当然の責務です。それとは別の次元で、財政健全化問題を考えるに際し、企業会計で利用される複式簿記におけるストックとフローの概念の応用は有効だと思います。先の総選挙における与野党のバラマキ的な選挙公約を見て、そんなことを感じました。

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「金融所得課税見直しの論点整理」

 自民党総裁選において、一時、金融所得課税の見直しが話題となりました。総裁選に立候補した岸田氏が当初、見直しについて前向きと見られる発言をしたからです。ただ、その後修正したため、結局は当面見直すことはなさそうです。しかし、貧富の格差問題はそう簡単に解消しませんから、金融所得課税の見直しは、今後、折に触れ浮上してくると思われます。
  この間、賛成、反対両派から様々な主張がなされたのですが、どうも議論がかみ合っていません。そこで、その論点を整理したいと思います。

累進税率の所得税と一定税率の金融所得課税
  金融所得をはじめとしたいくつかの例外はありますが、個人所得にかかる課税については、基本的にその年に生じた所得を合算して、所得が上がるほど税率が高くなる累進税率を適用しています。現在では、4000万円を超える所得に対しては最高税率の45%(住民税分を加えると55%)が課されています。所得が高い人ほど、税率が高くなり、多くの税額を納付する仕組みになっています。
 一方、株式や投資信託などから生じる金融所得に対しては、原則として総合課税とはせず分離課税として、所得金額にかかわらず一定税率の20%(所得税15%と住民税5%)を課税しています。したがって、所得が増加するにつれ、累進税率である所得税に比べて、一定税率の金融所得課税の方が有利となります。金融所得が多いのは富裕層ですから、金融所得課税は金持ち優遇だと、かねてより批判されていました。
 金融所得課税を強化する手法には分離課税ではなく総合課税とする方法と、分離課税のまま20%の税率を引き上げる方法の2つが考えられますが、その手法論はさておき、金融所得について増税することの反対論と賛成論の主張を概観してみましょう。

反対論と賛成論
 金融所得の中心は株式関連の配当や売却益になりますから、課税強化の反対論は主として株式市場の立場からなされます。株式市場は資本主義の中核であり、株式市場に多くのマネーを流入させることで、有望な企業に資金が集まり、経済が活性化すると考えます。ここで、どういう形にしろ、金融所得課税を強化すれば、株式市場への資金流入が細り、新規産業を育てることが難しくなってしまいます。我が国は米国などに比べ家計貯蓄における預金の比重が多いことから、「貯蓄から投資へ」は長年の課題であり、金融所得課税を強化すればその流れに水を差すことになる、というのが主たる反対理由です。
 一方、賛成論は主として貧富の格差是正の立場からのものになります。富裕層は株式などの金融所得が多いのに対し、一般庶民は勤労所得が多くなります。そのため、勤労所得より金融所得を優遇すれば、貧富の格差は拡大します。また、国民経済的にも富裕層より貧困層の方が消費性向は高いのですから、富裕層への課税を強化して、それを財源に貧困層に再分配すれば消費需要は高まり、経済的にも好ましいはずだと、説きます。

株価対策か需要拡大か
 貧富の格差は社会的問題として重要ですが、それはさておき、ここでは経済的問題に論点を絞ることとします。とすると、株式市場にマネーを呼び込むことによる経済の活性化と、より消費性向の高い階層に所得を移転することによる需要の拡大の比較の問題になります。ただ、両者は同じ経済といっても、供給側と需要側の問題で、直接の比較考量は難しく、様々な意見がありえますが、私は次のように考えます。
 確かに、マネーをより多く株式市場に呼び込むことは資本主義の基盤といえます。ただ、昨今の我が国の産業界の事情を見れば、長年にわたって金融所得を優遇しているにも関わらず、アメリカのIT産業のような新規産業は育っていません。多分、新産業立ち遅れの要因は市場におけるマネー不足というより、教育、経済を含めたより広範な社会的要因によるものだと考えた方がいいと思います。現状では株式市場に招き入れたマネーは、産業の育成に充てられるというより、単に株価維持のための道具として重宝され、結果として、既存株式市場のマネーゲームに使われているに過ぎないと思われます。つまり、金融所得課税強化に対する反対論の本音は産業の育成ではなく、単なる株価対策ではないかと考えられるのです。しかし、株価対策の本筋は株式市場におけるマネー需給を操作することではなく、実体経済の立て直しによるべきです。株式市場にマネーを吸引するのは税制の優遇ではなく、実体経済の回復にあるということを認識すべきでしょう。
 そうしたことを考えれば、金融所得課税を強化して、その財源を消費性向の高い階層に再分配して、消費需要を盛り上げ、実体経済を立て直すことに力を注いだ方がいいのではないかと、私は考えます。

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「新自由主義的税制の見直し気運」

 このほど、経済協力開発機構(OECD)加盟国など136の国と地域が法人税の最低税率を15%にすることについて合意に達しました。2023年からの導入を目指します。この合意はこれまでの税制の潮流を変える大きな転換点になるものだと思います。

税制にも競争を
 ここ数十年、アメリカを中心とした世界の経済界を主として支配してきた思想は「新自由主義」といわれるものでした。新自由主義は、政府による市場への介入は最低限に抑え、できるだけ個人や企業の自由を尊重した経済活動を進めようとする考え方です。個人の自由度を最大限広げることが、経済パフォーマンスを向上させる最善の方策だと信じる思想です。
 この思想を貫徹すれば、税制も政府による介入の一種ですから、法人税や所得税の税率はできるだけ低い方が望ましいということになります。また、国など公的機関においても民間と同様な競争が求められます。それは、税率の引き下げ競争にとどまらず、個人や企業などが自由な経済活動を行いやすいように制度や設備を整備することも含まれます。
 こうした思想に基づいて、企業や個人が自由な経済活動を行った結果、経済全体が拡大し、拡大した経済の恩恵を受ける形で、最終的に経済的弱者も潤い(いわゆる「トリクルダウン」効果)、国民全体が豊かになると同時に、税率引き下げ分はパイの拡大でカバーし、税収も大きくは減少することはない、というのが新自由主義の狙いとする経済社会です。

効果がなかった
 しかし、実際に起こったことは、先進国では経済の停滞は続き、お金持ちはより豊かになったのですが、その恩恵が低所得層に及ぶことはなく、貧富の格差は拡大しました。また、国家レベルでは税率引き下げにより法人税収は落ち込む一方、低所得層対策のための福祉支出に加え、近年ではコロナ対策のための経費が追い打ちをかけて、財政赤字の拡大を招きました。そこで各国政府はたまらず、税率引き下げ競争に終止符を打つべく、今回の世界的な法人税の最低税率の合意となったわけです。

ふるさと納税も新自由主義的
 民間においては、個人の創意工夫を最大限に活かして、経済発展しようとする新自由主義的思想は、賛否はあるでしょうが、昔からあり、今後ともなくなることはないでしょう。しかし、それを公的な税制にまで適用することは、どんなに高邁な理想を述べたところで、終局的には、税率引き下げ競争に終始し、トータルとすれば税収の落ち込みを招くだけの結果になることが明確になったのだと思います。
 こうした競争的要素を取り入れた新自由主義的税制は国内にもあります。その代表はふるさと納税です。ふるさと納税のそもそもの発想は、税収を国から交付される地方交付税ばかりに頼るのではなく、地方自治体にも競争原理を導入し、特色のある政策を実行することで魅力ある自治体になり、そこに住んではいないが、そうした自治体を応援したいと考える人々から住民税を納めてもらい、そのお礼として返礼品を送る、というものであったはずです。ところが実態は、魅力ある地域づくりという理想はそっちのけで、返礼品の良し悪しを巡る競争に堕してしまっています。
 今では、商品券を配るといったような行き過ぎた返礼品競争は幾分是正されたようですが、それでも税率引き下げ競争の実態に変わりはありません。国民全体が納付する住民税額は同じなのですから、トータルで計算すれば、返礼品の分だけ、日本全体の地方自治体が受け取る住民税額は減少するのは自明です。これから福祉や医療制度の充実のために益々公的サービスの拡充が求められる中で、住民税が主として富裕層が得をする返礼品に消えてしまうのは合理的とは言えません。
 ふるさと納税は前首相肝いりの政策であっただけにこれまでやや聖域視された感がありますが、政権が変わると同時に、世界的に新自由主義的税制の見直しが叫ばれていることから、今後どのように変わっていくか(あるいは変わらないのか)が注目されます。

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「テレワークで問い直される経営方針」

 コロナの感染拡大に歯止めがかからず、首都圏を中心に、テレワークの拡大が求められています。行政からの出勤削減要請は7割減でしたが、この水準は小手先のやりくりでどうにかできるレベルではありません。仕事全体をゼロベースでたな卸し、それぞれの業務がテレワークで対応可能かどうか、徹底的に見直す必要があります。逆に言えば、こうしたことがなければ、その効率性を検証することなく、惰性で行っていた仕事を洗い直すいい機会だととらえることもできます。
 従来、私は、テレワークの拡大は単なる仕事のやり方の変更に過ぎないと思っていたのですが、最近は、もっと根源的な経営の根幹を問い直すものになるのではないかという風に感じています(以下では、オンラインによるテレビ会議及びテレビ営業を含めたものをテレワークと称します)。

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「虚脱感漂うインフレ目標」

 黒田氏が日銀総裁就任時、自信満々に短期間で実現すると言っていた2%のインフレ目標はこれまで実現できませんでしたし、今後も当分達成が難しそうな状況です。ただ、海外に目を転じると、アメリカではコロナ禍からの景気急回復で6月は5%以上の物価上昇率を示し、FRB(連邦準備制度理事会)は金融緩和の解除も考え始めているといった報道や、木材や鉄などの資材価格上昇のニュースも伝えられてきており、少し様相が異なってきているように見えます。この辺で少し視点を変えて、インフレ(物価上昇)となる可能性も視野に入れておくのも必要なことかもしれません。
 どういう形であれ長年苦しんできたデフレから脱却し、物価が上昇しさえすれば、それでオーケーかというと、そういうわけにはいきません。現状では物価の上昇がかえって、経済の足を引っ張る可能性が高いのではないかと私は思います。


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「平時の無駄か、非常時の備えか」

 新型コロナ感染拡大に伴い、業種によって濃淡はありますが、企業は大きな打撃を受けています。直撃された業界にとっては、現在は非常時にあります。企業は非常時においてその耐久力が問われます。非常時の耐久力には平時の備えが必要になりますが、過度な備えは無駄につながります。「無駄なのか、備えなのか」、経営はいつの時代もそのバランスが問われます。

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「ダイナミックプライシングの功罪」

 国土交通省が、利用時間帯によって鉄道運賃に差をつける変動運賃制について検討しているとの報道がありました(2021年6月2日付け日本経済新聞)。これは「ダイナミックプライシング」という価格設定の方法です。提供する商品の需要状況の違いによって、販売価格を機敏に変動させ、利潤を極大化させようとするのがダイナミックプライシングのねらいです。ITの進化で、そんなことも可能になったのだと感心するところもあるのですが、経済的には望ましくても社会的には必ずしも正しいものではないというところが悩ましいところです。

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