日本の政府債務残高GDP比率は200%を超え、主要先進国は言うに及ばず、その他の世界の国々に比べても突出して高い水準にあります。一部には財政にはまだ余力があるとする強硬な論者も存在しますが、ほとんどの経済学者はこの債務水準は危険水域にあるとみています。ですから、財政健全化は長い間、政府の重大な課題と位置付けられてきました。そこで財政健全化に至る目標が重要になるのですが、その財政健全化目標が高市政権において重大な変更がなされることになりました。
従来は「プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化」を直接の目標としていたのですが、今後は「政府債務残高のGDP比率の安定的引き下げ」を中核目標として位置付けることとしました。2つの目標の経済的含意については様々な議論がありますが、本稿では目標としての有効性の見地から両者の比較をしてみたいと思います。
プライマリーバランスと政府債務残高GDP比率
プライマリーバランスとは国債などの借入を除いた収支の状況を示す指標であり、税収などの歳入から、国債などの元利払いを除いた通常の歳出を控除して算出されます。プライマリーバランスが黒字なら、行政サービス支出を税収等だけで賄えているということであり、国債等を増加させなくて済み、生じた剰余金は債務の返済に回すことができます。一方、赤字になると、税収等だけでは支出を賄えず、足りない分は国債発行などが必要になりますから、債務残高が増えることになります。
従来、このプライマリーバランスの黒字化を財政健全化の目標としていたのですが、プライマリーバランスに固執すると、財政が硬直化し、政策目的に柔軟に対応できないという理由で、「政府債務残高GDP比率の安定的引き下げ」に目標を変更しようというのです。
政府債務残高GDP比率は、分子に国債を中心とした政府債務残高、分母をGDPとした比率です。政府債務の返済を最終的に担保するのは全体としての国力であり、また、政府債務の危険性を判断する重要な基準はこのGDP比率になりますから、政府債務GDP比率を安定的に引き下げるというのは一見、合理的な目標のように見受けられます。しかし、目標としての有効性という点から見ると、その脆弱性が浮き彫りになります。
自己完結性と結果の確定性
第一に指標の自己完結性です。目標として採用する指標は自分以外の他者との関係で変わるものより、できるだけ自分の範囲内で完結できるものであることが望ましいことはいうまでもありません。その見地からいえば、プライマリーバランスは歳入も歳出も財政当局のコントロール下にあるものであり、自己で完結できる数値です。歳入が足りないとなれば税収を増やせばいいですし、歳出が多すぎるなら削減すればいいだけです。当然ですが、自己完結性が高い目標ほど、責任が明確になり、達成されないときの責任転嫁がしにくくなります。
ところが、政府債務残高GDP比率は性格が異なります。分子の政府債務は過去からの累積の金額であり、完全に制御できるわけではありませんが、一応財政当局の裁量の範囲内といえます。ところが、分母のGDPは、財政の影響は受けますが、すべてが財政当局のコントロール下で動く数値ではありません。物価動向は言うに及ばず、金融、産業政策等の国内政策、民間企業の動向やアメリカ、中国等の世界経済の影響も強く受けます。つまり、政府債務残高GDP比率は自分の努力だけではなく、他者のパフォーマンスにも大きく依存するため、そこから導き出される結果は「あなた任せ」のものになってしまいがちです。
また、結果の確定性の問題も無視できません。プライマリーバランスにおける歳入、歳出の数字は実数としてその年度で確定し、結果に対して弁解の余地がありません。ところが、「政府債務残高GDP比率の安定的引き下げ」においては分母のGDPの確定に時間がかかります。前年のGDPは確定しているかもしれませんが、より重要な本年以降のGDPは未確定で、予算措置による変動を見込むことになります。そこには、「この予算効果によりGDPは拡大するだろう」といった恣意性介入の可能性が存在します。そして、終わってみれば、GDPは見込みほど増えず、政府債務残高GDP比率は想定していたほど低下しなかったということもありえます。ただ、結果が未達に終わっても、不確定要素が多いだけに弁解の余地が多いことも懸念材料です。
このように自己完結性と結果の確定性の見地から目標としての有効性を考えると、「政府債務残高GDP比率の安定的引き下げ」はプライマリーバランスに比べて、目標が曖昧になり、結果責任が問いにくいといわざるをえません。
5兆円の消費税減税
たとえば、今話題の年5兆円の税収減となるといわれる消費税減税のケースを考えてみましょう。
「プライマリーバランスの黒字化」を目標とすれば、5兆円の税収減の発生は、たちどころに当該年度のプライマリーバランスを毀損し、その年度において即座に税収減を補う歳入増か歳出減が必要になります。一方、「政府債務残高GDP比率の安定的引き下げ」が目標であれば、5兆円の税収減が生じても、この減税効果で今後のGDPが増加するから比率は安定的だと説明すればいいことになるでしょう。そして、結果の確定も後日ですから、責任も問いにくくなります。
債務増大が差し迫った問題なのかどうか
結局、目標としての有効性を取るか、あるいは政府の政策的裁量の余地を広げるかの選択になるのですが、別の言い方をすれば、この問題は現在の政府債務の現状を危機的だと認識するかどうかに帰着するのだと思います。危機的だと認識すれば、目標として厳格な「プライマリーバランスの黒字化」を採用すべきですし、それほど危機的でないと考えれば、柔軟に政策対応が可能な「政府債務残高GDP比率の安定的引き下げ」を選択することができます。
私自身は、現在の国債利回りの上昇傾向や為替の動向を考えると、十分に危機的だと思うのですが、現政権はそれほど深刻に捉えていないということになるのでしょう。