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あがたグローバル社会保険労務士法人船井総研 あがたFAS

M&A成功の命運を分ける「人」の視点 —譲受企業が直面する労務リスクと統合の要諦—

2026/01/15

「会社を買ったが、翌月から主要メンバーが次々と辞めてしまった」「買収後に数千万円の未払残業代が発覚した」……。これらは、M&Aの現場で決して珍しくない光景です。

 

財務(財務DD)や法務(法務DD)に比べ、後回しにされがちな「労務」。

しかし、現在の労働力不足とコンプライアンス意識の高まりの中では、労務管理の状況が買収価格の妥当性や、買収後の事業成長を直接左右します。本稿では、社会保険労務士の視点から、経営者が押さえるべき3つの重要局面を解説します。

 

1. 労務DD(デューデリジェンス):隠れた「負の遺産」を暴き出す

労務DDは単なる書類チェックではありません。将来発生しうる「簿外債務」を特定し、買収価格に反映させるための経営判断材料です。

①未払残業代(賃金請求権の時効):2026年現在、賃金請求権の消滅時効は原則5年(経過措置で当面3年)で運用されています。「名ばかり管理職」への残業代未払いや、日々の残業時間の切り捨て(1分単位での集計漏れ)が全社員分蓄積している場合、その総額は数千万円から、規模によっては億単位に達します。

②社会保険の加入実態:パート・アルバイトの社会保険適用拡大(2024年10月から従業員数51人以上の企業へ拡大)に伴い、加入漏れのリスクが増大しています。遡及適用となった場合の企業負担は甚大です。

 

労務DDの結果、深刻なリスクが発見された場合、買収価格の減額交渉を行う、譲渡側の表明保証条項を調整するなどの措置を検討すべきです。

 

2. 労働契約承継:社員の不安を解消し、法を遵守する

M&Aの手法(株式譲渡、事業譲渡、会社分割)によって、社員の労働契約がどう移転するかは大きく異なります。

①事業譲渡の場合:個別の同意が必要です。優秀な人材に「この機会に辞める」と言わせないためのコミュニケーション設計が欠かせません。厚生労働省の「事業譲渡等指針」に基づき、適切な情報提供と協議が求められます。

②会社分割の場合:労働契約承継法により、一定の条件を満たせば同意なく承継されますが、手続きの不備(通知漏れ等)は承継そのものを無効にするリスクがあります。

 

現在の労働市場では、SNS等での情報拡散スピードが速く、不誠実な説明は即座に「ブラック企業」としてのレピュテーションリスクに直結します。「誰が、いつ、何を、どの範囲で引き継ぐのか」を透明性を持って提示することが、キーパーソンの流出を防ぐ有効な手段になるでしょう。

 

3. PMI(ポスト・マージャー・インテグレーション):融合が生む真の成長

PMI(買収後の統合プロセス)における労務のゴールは、「異なる人事制度(労働条件)を一つのベクトルにまとめること」です。

①不利益変更の壁:譲受側の制度に合わせる際、譲渡側の社員の賃金が下がる場合は「労働条件の不利益変更」となります。これには高度な合理的理由と合意が必要であり、強引な統合は集団訴訟や労働組合との紛争を招きます。

②ウェルビーイングの統合:単に給与体系を合わせるだけでなく、福利厚生や働き方の「文化」をどう融合させるかが、エンゲージメント維持の鍵と言えるでしょう。

③紛争性が高い事案や、複雑な制度設計が絡む場合は、紛争解決手続代理業務が行える「特定社会保険労務士」や、労働法に精通した弁護士との連携を強くお勧めします。

 

まとめ:M&Aは「感情」の承継である

M&Aの成功とは、契約書に判を押すことではなく、譲受側と譲渡側の社員が同じ目標に向かって走り出す瞬間にあります。

「労務」をコストや守りではなく、「持続可能な成長のための投資」と捉え直すこと。それが、変化の激しい時代にM&Aを成功させるカギと言えるでしょう。

執筆者

前川 紳也Shinya Maekawa

あがたグローバル社会保険労務士法人 代表社員・特定社会保険労務士

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