前回はインフレ時の資産運用について、貸借対照表的に、資産と負債のバランス、つまりストックの視点から検証しましたが、財務諸表的にはもう一つ別の視座があります。それは損益計算書、キャッシュフロー計算書的、つまりフローの視点からの分析です。フロー分析では、前回のストック分析のような総論的議論が難しく、個別ケースに応じた検証が必要になります。
貸借対照表的視点からは、インフレになると元本確定負債、すなわち借入金を持つ経済主体は負担が軽減するから有利だと述べました。借入金を大きく所有する代表的な経済主体として真っ先に思い浮かぶのは、膨大な国債を発行する国と多額の住宅ローンを抱えた個人です。そこで、以下ではインフレになるとストック的には有利とされるその2者を取り上げて、フロー、特にキャッシュフローの視点からはどうなるのかを見てみます。借入金のキャッシュフロー分析において重要となるのは、インフレになると上昇することが予想される借入金利(利払い費)とそれを賄うべき収入の増加額とのバランスです。
国債を発行する国
国は元本固定負債である膨大な国債を発行していますから、インフレが強烈になればなるほど貸借対照表的には負債の負担が減少し、有利になることは確かです。ただ、キャッシュフロー的には別の見方ができます。それを見る指標がプライマリーバランス(基礎的財政収支)です。プライマリーバランスとは、社会保障や公共事業をはじめとした様々な行政サービスを提供するための経費(政策的経費)を、税収等で賄えているかどうかを示す指標です。そこから国債の利払い費を除いた余剰資金が国債元本の償還に回せる資金になります。
プライマリーバランスにおいては、政策的経費は政治的に決められますから、経済活動との連動性という観点からは、税収と利払い費(国債金利)の動向が重要になります。インフレになれば税収は増え、一方、国債金利も上昇します。税収は経済成長率に、国債金利は長期金利にリンクすると考えられますので、最終的には経済成長率と長期金利の大小が問題になります。経済成長率と長期金利との関係は先験的には決まりません。政策の実行により思惑通り経済成長が加速すれば、経済成長率は長期金利より高くなるでしょうが、経済が成長しなければ長期金利の方が高くなるかもしれません。もし、不幸にも後者の事態に陥れば、利払いのために新たな借金(国債発行)を積み重ねるという最悪の展開になる恐れがあります。
キャッシュフロー的には、プライマリーバランスの黒字があって、はじめて国債の償還余力が生じます。ですから、日本の危機的財政状況を考えれば、これまでプライマリーバランスの黒字は必要不可欠だとして、プライマリーバランスの黒字化は予算編成上の重要な目標と位置づけられてきました。しかるに、高市政権においてプライマリーバランスの黒字に拘泥すると財政が硬直化するということで、今後は単年度のプライマリーバランスの黒字にこだわらず、国債残高とGDPの比率に重きを置く方針が示されました。いうまでもなく、日本の現状の国債残高GDP比率の水準は要警戒状態にあります。ただインフレに伴う分母のGDPの増加により、比率の方向性は一時的に低下することが期待できます。つまり、フローよりストックを重視することになりますが、そのことが結果的に財政規律の弛緩につながることが懸念されます。
住宅ローンを抱える個人
多額の住宅ローンを抱える個人もインフレになれば、資産の住宅価格は上昇するのに対し、元本確定負債である住宅ローンの借入負担は減りますから、貸借対照表的には有利になります。しかし、キャッシュフロー的にはそう簡単には割り切れません。それは金利上昇による利払い費の増加があるからです。サラリーマンの場合、住宅ローンの返済原資は主として給料になります。インフレになれば給料も金利も、ともに上昇することが予想されますが、その損得は一義的には決められません。
まず、住宅ローン借入時の金利選択が重大な分岐点になります。固定金利の住宅ローンであれば明快です。給料のみ上昇し、金利は変わりませんから、キャッシュフロー的にも恩恵を受けられます。一方、変動金利を選択していると給料と金利(利払い費)の上昇幅の相違が問題になります。利払い費の上昇が給料より大きくなれば、返済に苦慮しますが、逆に給料が利払い費以上に上昇すれば、対応可能となります。
つまり、キャッシュフロー的見地からは住宅ローンの金利選択が決定的に重要になります。固定金利を選択していれば、貸借対照表的にもキャッシュフロー的にもインフレは有利に作用することに疑いはありません。他方、変動金利選択者は貸借対照表的には有利ですが、キャッシュフロー的には固定金利選択者ほど明確に楽にはなりません。年収に対するローン比率の高い人は苦境に陥る人が出てくるかもしれません。
インフレ時に求められる政策
インフレ時の資産運用では、ストック的見地からは、負債を多く抱え運用する経済主体が有利になりますが、フロー的には一概に言い切ることはできず、個別の検証が必要になります。
経済成長という点に関しては、デフレより適度なインフレの方が望ましいことは確かです。しかし、インフレ時には貧富の格差が拡大し、豊かになる人もいますが困窮する人も出てくることに留意しなければなりません。そうした人をどのように救済するかが問われます。金融資産を多く持つ富裕層はインフレ時に豊かになる可能性が高いのですから、金融所得課税などを強化し、それを財源に困窮者層を救済するなどの再分配政策の推進が政府には求められます。