「日本経済の低迷の元凶はデフレ(物価の下落)にある。そして、物価はマネーとモノとの相関関係で決まり、マネーをコントロールしているのは日銀なのだから、デフレ脱却のために日銀さえ適切な政策を取れば、日本経済は復活する」と主張する人たちがいます。果たして本当に日銀さえ正しい行動を取れば、日本経済は回復するのでしょうか。この理論には二つの論点があります。一つはそもそも日銀が物価をコントロールできるのかということ、もう一つはインフレにさえなればそれですべて解決できるのかということです。
伝統的金融政策と非伝統的金融政策
日本でマネーを管理しているのは日銀です。従来、日銀はマネーコントロールを金利操作で行っていました。インフレ(景気過熱)になりそうなときには、金利を引き上げて、市中のマネー流通量を減らし、景気を鎮静化させます。逆に景気が悪くなりそうになれば、金利を引き下げ、銀行の融資量を増やすことによりマネー流通量を増加させ、景気を刺激します。こうした金利操作による金融政策を伝統的金融政策といいます。以前はこうした形の金融政策でマネー流通量を操作し、物価や景気をコントロールできていました。
しかし、バブル崩壊以後金利が低下し続けゼロ金利に突入、景気刺激のための金利引き下げ余地がなくなり、ここ10年以上、こうした金融政策が取れなくなってきてしまいました。政策金利がほとんどゼロになっても、デフレ状況は継続していましたから、日銀は依然としてデフレ脱却のための金融政策を求められました。そこで日銀は金利ではなく、通貨供給量そのものを直接操作する量的緩和政策、いわゆる非伝統的金融政策に踏み切りました。つまり、銀行が保有する国債を中心とした債券等の有価証券を日銀が買い取ることにより、通貨供給量を増加させようとするものです。
日銀は物価をコントロールできるのか
確かにこの非伝統的金融政策により、銀行は債券を売り現金を手にするのですから、銀行が保有するマネー量は増加します。しかし、肝心の銀行から一般市中への資金増加にはつながらず、デフレ脱却の目的は達することができていません。
この非伝統的金融政策の有効性の評価については、議論が分かれています。量的緩和政策支持者は、政策そのものは有効なのだが、日銀のやり方が不十分だから実効性が上がらないという「日銀悪玉論」を唱えます。他方、そもそも金利がゼロになった段階で金融政策の効果は期待できないという量的緩和政策無効論者もいます。私は後者に分があると思っています。現在の経済状況は、マネー量を小手先でいじったところで、実体経済に与える影響は少ないだろうと思うからです。
この議論の決着はついていませんが、量的緩和政策無効論に立てば、もはや日銀のできることは多くありません。また、たとえ量的緩和政策有効論に立つにしても、量的緩和に伴う悪性インフレや資産バブルといった副作用を恐れ、今の日銀が思い切ってどんなものでも大量に購入するということまではしそうにありませんから、当面デフレは続くと考えた方がよさそうです。
デマンドプルインフレとコストプッシュインフレ
そうはいっても物価はゼロにはなりませんから、いつかは反転するときが来るでしょう。しかし、デフレが終わりインフレになったからといってそれで経済が好転するとは限りません。
インフレには需要サイドで需要が拡大することで発生するデマンドプルインフレと、供給サイドで費用の増加によって生じるコストプッシュインフレの2種類があります。日銀の金融政策はデマンドプルインフレを招こうとするものですが、成功していません。しかし、石油などのエネルギー価格や食料価格の上昇、あるいは円安への反転などによりコストプッシュインフレが来る可能性があります。そこで、統計としての物価数値がマイナスからプラスに転じたところで、経済がよくなるわけではありません。給料は上がらず、物価だけが上昇するという事態も考えられるからです。
デフレでは値段が下がるから消費を先送りして、モノを"買いません"が、インフレになれば値段が上がって懐がさみしくて、モノを"買えない"、という事態になりかねません。状況はもっと悪化するかもしれないのです。
デフレ論争からの卒業
当初は確かにデフレが問題であったのかもしれませんが、ここまでくれば、デフレはもはや問題の本質ではなくなってきたのではないかと思います。インフレになれば、万事OKというのは余りにも事態を簡略化しすぎています。日本経済は誰か一人が、あるいはどこか一つの組織が正しい行いをすれば解決するというほど甘い状況ではありません。財政赤字、年金、雇用構造、産業構造など、どれ一つとっても一朝一夕に解決できるほどの生易しいものはなく、克服するには相当の苦痛と時間が必要とされる課題が山積しています。日銀悪玉論は日本経済が抱えるそうした本質的問題から目をそらすことになることを危惧します。もうそろそろデフレ論争から卒業した方がいいのかもしれません。