中小企業が銀行から融資を受けるとき、ほとんどの場合、銀行は「社長個人保証」を要求します。社長個人保証は我が国の中小企業融資では、ほぼ常識とされていますが、それで果たしていいのでしょうか。
社長個人財産からの返済
会社である法人と個人は別人格ですから、会社が倒産しても、それが即社長である個人の破滅につながるわけではありません。また、株式会社は株主有限責任ですから、会社が倒産したとき、たとえ社長が大株主であっても、株主個人の生活は守られるはずです。近代資本主義の発展の一つの要因は経済活動をもっぱらに行う法人(株式会社)を作り、ビジネスリスクを個人とは切り離すことで、積極的な事業活動を行える仕組みを作ったことにあったともいえます。
しかし、我が国では非上場の中小企業の場合、会社が倒産すれば、社長個人の生活も侵害されることが少なくありません。それは社長個人保証の制度があるからです。社長個人保証とは「もし万一会社が借入金を返済できないときは、社長の個人財産から返済しますよ」という契約です。
銀行が会社への融資に際し、完全に会社と社長(多くの非上場企業の場合は大株主でもあります)を分離して考え、会社の内容を決算書だけから判断するとすれば、社長の個人保証など不要なはずです。それでも、銀行が社長個人の保証を徴求するのは以下のような理由があるからです。
個人保証を必要とする理由
中小企業の決算書は、上場企業のように公認会計士の会計監査があるわけではなく、決算書の正確性が制度的に担保されていません。経営者が自分の都合のいいように決算書を作成している危険性を内包しています。決算書が会社の真実の姿を表現していないとしたら、そうした会社にカネを貸す銀行は何らかの自衛策を取らざるを得ません。
また、大株主で代表権のある社長であれば、個人財産の蓄財のために会社を恣意的に経営し、債権者(銀行)を意図的に害することも可能です。社長に「会社財産は自分の財産と同じだと考え、全身全霊で経営してくれ」とプレッシャーをかける必要があるのです。また、会社が社長個人の節税組織になっているとすれば、会社と社長個人併せての財産を貸出金の担保とする必要があります。
そこで、会社という法人にカネを貸しているにもかかわらず、社長の個人保証を取るという慣習が生まれてきました。
銀行側の事情
社長個人保証は、万一の場合、個人の生活まで犠牲になるのですから、社長にとっては酷な制度です。では、カネを貸す銀行にとっては望ましい制度なのかというと、必ずしもそうとは言い切れません。確かに、恣意的に会社を個人財産蓄財のために利用している社長に対しては有効ですが、以下のような非効率な側面もあります。
会社が倒産した場合、個人保証が存在すれば、銀行は引当金を積むにしても、社長の個人財産から回収できる可能性があるわけですから、貸出金を帳簿から落とすことはできません。直接の債務者である会社と保証人である社長個人共に弁済能力がないと認められて初めて帳簿から完全に抹消できます。したがって、社長個人の弁済可能性を追求しなければなりません。債務者である会社から直接回収するならともかく、保証人からの回収は気乗りのする仕事ではありません。最終的には個人生活まで踏み込まなければならないからです。そんなことに時間と労力を取られるより、倒産した会社の貸出金を会社の倒産処理と同時に銀行の帳簿から落とし、新規の営業に向かった方がはるかに効率的だと私は思います。
それでも、銀行が社長個人保証から逃れられないのは、銀行は何より貸し倒れを避け、債権回収に全力を挙げなければならないという建前論の他に、先ほど述べた決算書に対する疑念と会社を経営する社長個人に対する不信感があるせいだと思います。逆にいえば、社長が真摯に事業を遂行し、事業の状況を決算書で適正に報告し、それでも倒産してしまったら、銀行側も社長個人の財産を探し出して債権回収に充てたいとは思わないでしょう。
再挑戦可能な社会に
社長個人保証は企業家の再挑戦を著しく困難にします。停滞する日本経済において、企業家精神を持つ人は貴重です。アップルのスティーブ・ジョブズのような優秀な企業家には、失敗をしても何度でも再挑戦できる社会であってほしいと思います。
そのためには銀行側が考え方を変えるだけではなく、企業家の側も会社を公正に運営し、決算書で適正に企業内容を開示することに心がけ、個人保証がなくても借入ができるようにしておかなければなりません。