コンピュータ将棋と一線級のプロ棋士が対決する「第3回将棋電王戦」が行われました。前回はコンピュータの3勝1敗1分け、今回も4勝1敗でコンピュータの勝利に終わりました。少し前までは、将棋はチェスなどに比べて、成り駒や獲得駒の再使用など、駒の変化のバリエーションが多く、コンピュータがトッププロに勝つようになるのは相当先になるだろう、という意見が大勢でした。でも、コンピュータソフトの進歩はそうした予測をはるかに超えています。
なぜ、コンピュータソフトは強いのか、と聞かれたあるプロ棋士は次のようなことをいっていました。
「コンピュータもプロ棋士も最善手を探すことについてはほとんど差がない。最も大きな違いは後悔の有無だ。人間は一度悪手を指すと、その悪手について後悔の念から迷いが生じて、その後の指し手も間違えることが多い。ところが、コンピュータは悪手を指しても、それがその後の指し手に影響することなく、常に平常心で最善手を探し続けられる。」
私はこの話を聞いて、常に過去の指し手に惑わせ続けられる人間に勝ってほしいと思いました。そのとき、ふと「それは、いつも会社の経営者に対して自分が言っていることと違うな」とも感じました。それは埋没原価(サンクコスト)についてです。
埋没原価
埋没原価とは既に発生してしまっている原価で、将来の意思決定に影響させてはいけない原価のことをいいます。たとえば、あるプロジェクト達成のために過去に1億円の設備投資を行ったとします。この投資完成のためには、これからさらに9000万円の資金投入が必要になります。これをA案とします。しかし、これまでの投資とは全く別の新しい技術を採用すれば、8000万円の投資で同様の効果を上げることができるB案があることがわかりました。さて、A案とB案のどちらを採用すべきでしょうか。
このときの過去に行った投資1億円が埋没原価です。経営の意思決定には将来のキャッシュフローのみが問題であり、既に実行済みの投資を考慮に入れてはいけません。この例でいえば、過去の投資の1億円は無視して純粋にこれからのキャッシュフローである9000万円と8000万円を比較して、8000万円のB案を採用すべきだというのが教科書的結論になります。
コンピュータか人間か
ただ、考えてみればこうした結論に至るのは、我々会計専門家やコンサルタントは会社のこれまでの意思決定にからんでいない外部者ゆえ、過去に指した悪手を無視して、冷徹な判断をするからです。電王戦でいえば、コンピュータと同じです。
しかし、会社の経営は間違いもすれば、後悔もする人間が行います。経営者は過去の失敗した投資に対して思い入れがあるはずです。その投資には金額だけではなく、人間もかかわっています。B案を採用すれば、おカネをドブに捨てるだけではなく、1億円の投資に携わった人間の努力も無駄になってしまいます。単にキャッシュフロー計算上有利だからという理由だけで、これまでの投資を完全に反故にするB案に簡単にうなずくことができないのも無理からぬことです。経営の根幹を揺るがすほどの差があれば別ですが、多少のマイナスであれば、彼らの努力に報いるために、過去の投資を活かすA案を採用するという選択肢もあっていいようにも思えてくるのです。
不特定多数の株主がいる上場企業に対しては、将来キャッシュフローを最大化すべきだという意見に反論はしにくいのですが、利害関係者が限定されている非上場企業では、多少キャッシュフロー上不合理で経営効率が劣るとしても、過去の思いを大切にする経営判断があってもいいのではないか、という気もするのです。
あくまで効率性を追い求め冷徹な経営判断を勧めるコンピュータになるか、効率を多少犠牲にしても経営者の後悔の念を包摂できる人間になるか、コンピュータ将棋は我々にそんなことも考えさせます。