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「あるがままの現実を見るか、見たい現実を見るか」

2014/06/02

2014年4月19日号の『週刊東洋経済』に「本業喪失~富士フイルムに学ぶ勝ち残りの法則~」が特集されていました。この特集では経営者の決断の重要性が強調されています。経営者の迅速で果断な決断が富士フイルムを救ったことはいうまでもありません。ただ、経営者の決断の前に、現実を正しく見ることが必要になります。そこで、本稿では現実を直視することの重要性を考えて見ます。

超優良企業だった富士フイルム

私は1980年に社会人になったのですが、当時、富士フイルムは押しも押されもせぬ超優良企業として就職希望学生に高い人気を誇っていました。その屋台骨を支えていたのは、何と言っても写真フイルムです。富士フイルムは国内写真フイルム市場で7割のシェアを占め、高収益、高財務体質の会社であり、トヨタ自動車のような派手さはないのですが、日本企業の中では珍しく消耗品で稼げる会社として、製造業の中で特異な存在感を示していました。当時の常識では、フイルムのない写真などは想像することはできず、そして、写真そのものがなくなることはないのだから、写真フイルムの需要は半永久的に続くものと考えられていました。その結果、技術的にも営業的にも写真フイルムに圧倒的優位性を保有する富士フイルムは安泰な会社だと、私は思っていました。
フイルムがなくなる
ところが、デジタル技術の進化のスピードは想定をはるかに超えます。あっという間にフイルムのいらない写真が世の中に普及し始めます。フイルムどころかカメラまで不要な時代が到来しました。これまで写真フイルムが余りにも強く、依存度も高かっただけに富士フイルムの将来には一転不安が漂いはじめます。古森会長(当時社長)はそのとき、次のように言って社内で危機意識を共有したそうです。
「トヨタから車がなくなる」
「新日鉄から鉄がなくなる」
多分、これは決してオーバーな表現ではなく、その市場シェアから考えれば、「富士フイルムから写真フイルムがなくなる」のはもっと強烈なインパクトを持っていたに違いありません。
富士フイルムはこの苦境からどのように脱したのか。富士フイルムの成功の出発点は、「現実を直視する」ことができたからだと私は思います。
カエサルの名言
ローマの英雄カエサルに次のような有名な言葉があります。
「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は見たいと欲する現実しか見ていない。」
現実は平板な一面ではなく色々な要素を併せ持っています。将来は不確定ですから現実のある一面を抜き出し、その側面だけを強調していけば自分に都合のいい将来像を描くことは不可能ではありません。凡庸な経営者は現在自社が所有している経営資源にとって有利なような現実を選び出してしまいます。自社が強みを持っている技術は永遠に通用するはずだとか、現在十分に使われていない工場も将来になればフル稼働するように景気が回復するはずだとか、現在持っている株式の相場は上がるはずだとか、遊んでいる土地の値段も必ず上がるはずだ、といった思い込みです。そうすると、旧来の技術に頼ったまま新事業の展開が遅くなったり、不要な資産を抱えたまま、将来本当に役に立つ資産の購入ができなくなったりしてしまいます。そして、状況は益々悪化して手遅れになってしまうのです。
富士フイルムとコダックの分岐点
富士フイルムでいえば、将来の写真フイルム市場を正確に予測することがカギになります。確かに、デジタル技術が進み、写真フイルムが縮小するとの予測は誰でも立てられます。富士フイルムは写真フイルムに抜群の強みを持つだけに、デジタル化の進展はできるだけ遅くなるのが望ましいと考えます。そうした思いが予測にも反映されてしまうのです。「デジタル写真が銀塩写真に匹敵するまでには相当時間がかかるだろう」とか、「消費者はこれまで慣れ親しんだカメラをそう簡単には捨てないだろう」といった希望的観測が、社内で幅を利かせても決しておかしくはありませんでした。ところが、富士フイルムの予測担当者は社内でどんなに嫌がられても、絶望的な需要予測を経営層に報告し続け、経営者もそれを受け入れました。それが早めの打開策の展開へとつながります。
富士フイルムは見たいと欲する現実ではなく、自分に不利な状況でも「あるがままの現実」を見ていたのです。それに対し、同様に写真フイルムで圧倒的な優位を持っていたアメリカのコダックは2012年1月に破綻しました。コダックは「あるがままの現実」ではなく、「見たい現実を見ていた」のかもしれません。
現実を直視することは決して簡単ではありません。経営者は虚心坦懐に現実を見なければなりません。

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