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「利益に対応した経営責任」

2015/12/01

IFRS(国際会計基準)や米国会計基準の影響を受け、平成23年から日本でも上場企業に対して「包括利益」が導入されました。導入前にはその影響について盛んに議論されていましたが、導入後は新聞や経済誌でも、ほとんど話題に上ることはなく、従来通りの損益計算書ベースの利益分析に変わりはなく、包括利益はやや置き去りにされた感があります。
ただ、包括利益は経営者の経営責任概念について、従来の利益とは大きく異なっていることに注意しなければなりません。最終的には「経営者が負うべき経営責任とは何か」という経営哲学の問題に帰着します。

資産の評価損益を含める包括利益

包括利益は損益計算書の当期純利益を受けて計算されますが、その表示方法には2通りあります。これまでの損益計算書を包括利益計算書に名前を変え、当期純利益の下に最終利益としての包括利益を設ける1計算書方式と、損益計算書とは別に包括利益計算書を作成する2計算書方式です。ほとんどの会社は2計算書方式を採用しています。どちらにしても、包括利益は事業成績の最終結果である当期純利益に投資有価証券の時価や為替換算調整勘定の変動金額等を加えて計算されます。
現在の会計基準では、投資有価証券の評価損益や為替換算調整勘定の変動金額は損益計算書には表示されず、貸借対照表上で直接処理されています。この会計処理のポイントは評価損益が損益計算書を通りませんから(減損の場合を除く)、当期純利益が変動しないところにあります。
ところが、包括利益はこれらの資産価格の変動による損益を含めたものを「利益」として提示します。

経営者の経営責任とは

経営者の成績は期間中にどれだけ利益を上げたかで評価されます。その意味で、損益計算書の最終利益が重要です。投資有価証券の評価損益や為替換算調整勘定の変動金額を損益計算書に含めない会計基準の背景には、経営者は本業での実績で評価して欲しいという考え方があります。経営者からすれば、「株価や為替相場は経営者が関与できない外部変数で、経営者の能力とは関係ない。経営者の評価は本業への貢献度に絞って評価されるべきだ。株価下落や為替相場変動による赤字計上を理由に経営者に責任を取れと言うのは理不尽だろう。」と主張するのです。
しかし、株主から見れば、そんなものは経営者の言い訳に過ぎません。経営者は株主から株主の財産を預かって株主財産を増加させることを委託されているはずです。外部環境はどうであれ、その中で最高のパフォーマンスを示すのが経営のプロだろう、ということになります。株価の下落が予想されるなら、事業と関係ない株式はあらかじめ売っておくべきであろうし、それでもなお所有し続けるとすれば、株価下落による評価損を補って余りある事業上の利益がもたらされなければなりません。経営手腕には単に事業遂行能力だけではなく、外部環境変化への対応能力も含まれているはずだと考えるのです。
包括利益とは経営を巡るすべての外部環境変化も包含した上で、経営者の経営能力を評価する利益だといえます。

資産の収益性をチェック

資産の評価損益も含めて経営者の経営責任を問われるとなると、資産の収益性の検証が重要になります。いつか役に立つだろうとか、将来値上がりするだろうから何となく継続保有する、といった漠然とした理由での所有が許されなくなります。所有している資産が現在の収益獲得にどのように貢献しているのかということを常にチェックし、資産所有の妥当性を検証しなければなりません。
私は包括利益導入とともに、もう少し強烈に所有資産見直しの動きが出ると思ったのですが、想像ほどではなかったというのが実感です。ただ、ここにきて、銀行を中心として持合株式の解消が進められようとしています。こうした動きは、日本の企業にもようやく包括利益の概念が浸透してきたものだと受け取ることができるでしょう。
日本人は古くから失敗の検証が苦手で、失敗を招いた人間に対する責任追及が甘くなりがちな民族なのではないかと私は思っています。自分の責任を追及されたくないのは言うまでもないことですが、自分を引き上げてくれた先輩やかつての上司の責任を問うこともはばかる風潮も根深く存在します。しかし、所有資産に内在する赤字も含めた損益が重要視されるようになれば、従来のような微温的態度に終始できなくなり、赤字の原因を生じさせた経営者責任を厳しく追及される局面が増えてくるのかもしれません。

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