インフレが止まらず、賃金上昇率は物価上昇率を下回り、実質賃金はこの8月で17か月連続マイナスとなり、生活を圧迫しています。価格が上昇するメイン品目は日々購入しなければならない食料品や日用品なので、体感のインフレ率は政府の公式発表より厳しいように感じます。
にもかかわらず、物価を制御する役割にある日銀は相変わらず金融緩和姿勢を崩しません。日銀の言い分は、物価と賃金がともに上昇する「好循環のインフレ」が安定的に実現するまで金融緩和を続ける、ということです。しかし、アベノミクスであれだけ強烈な金融緩和を行いながら実現できなかった「好循環のインフレ」が、内外の厳しい経済環境の中で、そう簡単に到来するとは思えません。日銀は「好循環のインフレ」を実現するために金融政策を維持しているというより、金利を上げるに上げられない状況にあるのではないかと思います。
金利上昇の影響
本欄でも度々指摘してきたように、我が国は低金利が余りにも長く続き、金利上昇に脆弱な体質になっています。第一に巨額の国債を抱えた国家財政は金利上昇の直撃を受けます。次に、量的金融緩和で大量の低金利の国債を所有している日銀は、金利が上昇すれば、(決算上は表面化しないとしても)保有する国債に多額の評価損を生じます。また、銀行からの借入で何とか息をついている青息吐息の企業も金利が上昇すれば、とどめを刺されるかもしれません。そして、変動金利の住宅ローンを抱える個人は重くなる返済負担に苦しむことになり、それに伴い低利の住宅ローンに支えられた住宅価格の下落も予想されます。
そんなことを考えれば、日銀が欧米諸国のように利上げに踏み切れないのも無理のないことのように思われます。たとえ、利上げするとしても、できるだけマイルドにしようとするでしょう。この金融状況をバックで支えているのは、低金利を甘んじて引き受ける国民の膨大な国内貯蓄です。ほとんど金利ゼロでも増え続ける国内貯蓄の存在が低金利を維持させているのです。しかし、この「眠れる獅子」がいつまで眠り続けてくれるか分かりません。「眠れる獅子」を覚醒させかねない次のような状況があることに注意しなければなりません。
インフレによる貯蓄の目減り
バブル崩壊後長く続いたデフレの時代は、物価が下がるのですから、利息はゼロでも貯蓄の実質的価値は減少せず、かえって増加しました。預金が最も確実な資産運用ということもできました。ところが、インフレ時代になると様相を異にします。モノの値段は上がるのに、預金に利息がほとんどつかない状況では、貯蓄は実質的に目減りをしていきます。庶民は、ドルをはじめとした海外金利が高くなるのを横目に、ほとんどゼロ金利のままの国内貯蓄を継続することに疑問を感じ始めるようになっています。そこに新NISAが登場します。
「貯蓄から投資へ」~新NISAのインパクト~
政府は長い間、「貯蓄から投資へ」を旗印に、資金を投資に誘導することを目指してきました。その意図するところは、収益性の低い貯蓄から、株式などのリスク性資産に資金を振り向け、日本経済を活性化させようというものです。ところが、「貯蓄から投資へ」は思惑通りに進展したとはいえず、貯蓄水準は依然高いままでした。
そこで、政府は24年1月から、投資利益が非課税になるNISAを拡充します。新NISAでは、非課税期間が無期限になり、つみたて投資枠と成長投資枠の合計で年間360万円まで投資できるようになります。日本人はアメリカなどの諸外国に比べると、貯蓄好きだといわれますが、この新NISAの登場は、貯蓄を大きく動かすインパクトがあるかもしれません。
政府の狙い通り、資金がほどほどに国内株式等に向かえばいいのですが、そこに留まる保証はありません。金利が高く、成長力も日本より高い海外に一気に資金が向かう可能性もあります。人によっては、止まらない円安傾向を背景に為替差益狙いということもあります。その結果、日本の金融緩和の基盤であった国内貯蓄が大きく減少するといった事態に至るかもしれません。一方、防衛費や生活支援支出の増大で財政の赤字傾向は続きますから、今までのように低金利での国債発行は難しくなります。
これまで金利上昇は、景気が良くなり資金需要が活発化することにより起こると想定されていました。好景気になれば、金利上昇のデメリットを相殺できます。しかし、景気が悪いまま、資金不足により金利上昇することも頭に入れておかなければなりません。そうなると、かなり苦しい状況に追い込まれます。
「貯蓄から投資」のスローガンの効力が適当なところに収まればいいのですが、インフレによる貯蓄の目減り効果の後押しを受け、思いのほかに効きすぎると「眠れる獅子」を目覚めさせることになるかもしれないのです。24年1月から拡充される新NISAが資金の流れにどのような影響を与えるのかに注目したいと思います。